少年院脱走事件についての所感

ここ数日、子どもに関するニュースが相次いで報じられている。虐待問題が主ではあるが、今日1つニュースが報じられていた。

「少年院脱走事件:手配の18歳少年逮捕 大阪」 (毎日新聞)というものだ。


私の思いはただ1つ。無事でよかったということだ。所持金もなかったと思われる中、無事で本当によかったと感じた。

私には大きな疑問が2つある。1つはなぜ、少年を敢えて罪に問うことにしたのかという点。もう1つは、なぜ少年院の処遇問題は問われないのかということだ。

少年院から脱走した場合は、刑事収容施設ではないため、刑法の「逃走罪」には問われない。そのため、今回の指名手配は、脱走に際し、少年院の設備を破壊したとして、建造物損壊の容疑として手配されていた。

もちろん、施設から脱走し48時間経過した場合、家庭裁判所からの連れ戻し令状が必要となり、当初はその令状を基に捜索していた。


再度言うが、少年院からの逃走は刑事罰に問われない。少年院側は逃走判明の際の記者会見で、「再発防止のために、少年の心情把握に努めたい」としていた。であれば、今回敢えて少年を刑事罰に問うという選択をしたのはどういう識見に基づいたものだったのだろうか。

警察の実務的に、連れ戻し令状だけでは大規模な捜索活動ができないというわけではないはず。どうもそこのところの事情が今ひとつ根拠に乏しいように思える。

もう1つ、これが私の最大の関心事だけれども、なぜ少年院側の処遇問題は問われないのかということである。このことは、先に述べた「敢えて罪に問う」という選択と関連しているのではないかと、私は推察している。少年を敢えて本質ではない罪で罪に問うことによって、少年院側の処遇の問題に対する責任の縮小を狙っているのではないだろうか、ということである。

この事件の本質はな何か、それは逃走したということだ。事実、少年院側は「少年が逃走したこと」を地域の皆さんにお詫びしている。建造物を破壊して、地域住民の皆さんにご迷惑というものではない。

もちろん物を壊してはいけないというのも大切なルールなのだけど、今回逃走したことを少年院側が問題しているのであれば、敢えて建造物損壊を主張する必要性は薄かったのではないだろうか。

だとすれば、少年を再度罪に問うということによって、少年の特異性を強調する意図が本当になかったのだろうかという疑念を私は持つ。少年の特異性を強調すれば、少年院側の問題は幾分軽くなると踏んでいるのではないかということである。

万が一そのような意図で、少年の罪を主張したとすれば、子どもに対し責任を一方的に押し付けるような姿勢で、本当に今回の事件を少年院側は教訓とすることができるのだろうか。今回の事件の本質は少年院側の処遇が丁寧に行われていないことが核心であり、少年院側こそが、今回の事件の本質を見誤っていると見ることもできる。

施設からの脱走は、少年院に関わらず児童自立支援施設でもある。ともすれば、逃げる子どもが悪い、というような一方的な主張がまかり通る。職員の側からすれば、きちんと処遇してきたという思いもあるだろう。脱走の理由は諸々あるので、ひとくくりにしては言えないが、脱走は処遇からの逸脱と見ることもできる。処遇プログラムは職員と入所者の合意と協力がなければ、実を結ばない。双方の合意がなければ、簡単に逸脱につながる。

とりわけ社会的養護の現場では、どうしても援助関係が非対称性に縛られてしまい、援助者側にとって好ましくない行動は、「問題行動」や「懲罰」の対象とされてしまい、援助者側の援助の在り方にまで踏み込んで検討される機会は薄くなってしまう。

そういう意味で浪速少年院の今後の取組みに注目したいと思う。