「児童自立支援施設」試論

最近夏になり、服を買いたい衝動に駆られています。原宿や渋谷に行くたびに今の流行りのファッションは何だろうなと街歩きをしていると、一層その欲望に駆られます。今年のメンズファッションのムーブメントを誰か教えてください!!



先日、児童福祉施設当事者・出身者の会の勉強会に参加してきた。テーマは「イマドキ『枠のある生活』についてどう思う?」。食事を挟みながら、3時間ほど熱く語り合う場となった。

『枠のある生活』とは何だろうか。この言葉は、児童自立支援施設に勤める人ならば、ピンとくる言葉だろう。児童福祉施設の中で、児童養護施設とは異なる役割を持つ児童自立支援施設。その特色ある実践を表した言葉だ。
この言葉・実践について、児童自立支援施設出身の若者だけでなく、児童養護施設や肢体不自由児施設の出身の若者、また「里子」を経験した若者が議論をする、非常に価値ある場となった。児童養護施設を巡る課題は、近年当事者団体の活動も徐々に注目を集めるようになり、政府の委員会に当事者団体の代表が委員として加わるなどして、一定程度着目されている。
しかし、今日触れる児童自立支援施設や肢体不自由児施設、情緒障害児短期治療施設などの課題については、施設経営側あるいは援助者からの画一的な改善要求はあるが、当事者や出身者からの改善要求は、非常に見えにくい状況である。措置を受けた若者の数の少なさや、措置に至る背景などがそれら施設の当事者・出身者の声を極めて出しづらくしている理由と考えられる。

では、児童自立支援施設を巡る課題について、施設経営側からはどのような提起がなされているのだろうか。まず児童時自立支援施設の経営者・援助者が自分たちの役割をどう認識しているのだろうか。全国児童自立支援施設協議会は、児童自立支援施設の独自の役割を、厚生労働省の「今後目指すべき児童の社会的養護体制に関する構想検討会」の中で次のように述べている。

児童自立支援施設というのは、非行行為などの逸脱行動等を行った子どもを受け入れて、その立ち直りを図り、その自立を支援することを目的とする施設です。多くの場合、家庭は養護問題を抱えていることが多いわけですが、そのことが直接の入所理由になっているわけではなく、保護者も養護問題がゆえに子どもが児童自立支援施設に入所することになったという認識はないのです。さらに家庭裁判所に少年事件として係属して、その決定で入所する子どもが大体割合としては20%から多いところでは50%ぐらいを占めています。そういう意味では、少年院と比較されて、利用されている児童福祉施設という性格も持っています。そういう意味では児童自立支援施設というのは、乳児院児童養護施設、里親のように養護問題そのものの受け皿としての役割を直接的に担うものではないということで、独自性があるということです。

(第4回今後目指すべき児童の社会的養護体制に関する構想検討会 議事録より抜粋)

検討会での議論があまりかみ合っていないのが、とてももどかしい。西澤哲委員からも養護問題と非行を切り離して考えているのか、と厳しく指摘をされているが、協議会から出席した方からは、非行問題の背景に養護問題もあることは認識している、その認識のもと対応するのが原則と原則論で返答していて、本当に養護問題についての認識が施設職員に行き渡っているのか、大きな疑念を抱かざるを得ない。

西澤委員は、検討会の中で体罰も横行しており、実際体罰で骨折している子どもがいる旨の発言をしている。また子どもに措置変更をちらつかせることもしているとまで、言っている。愛知学園でのあの事件から何も学んでいないのだな、この議事録を読むにつけ、そう思わざるを得ない。

児童自立支援施設は、先に触れたが『枠のある生活』という独特な実践が行われている。城壁のような塀はないけれども、子どもたちは、生活上は様々な制限を一方的に受ける。梅山佐和さんは「児童自立支援施設における処遇上の制限に関する研究」において、児童自立支援施設で行われている様々な「自由の制限」の実態について明らかにしている。これを読むと、児童自立支援施設において、空間的、時間的な制限が様々な法規制との関係やその妥当性についての検証が十分になされず、今日まで引き継がれていることがわかる。

話を勉強会に戻そう。勉強会では、とりわけファッション・服装、髪型についての規制について議論が白熱した。児童自立支援施設出身の若者5人から、自由時間での服装の規制、あるいは服装・髪型違反の場合の罰則の話などをしていただいた。髪型違反でいえば、例えば外出時に髪を染めて帰ったら丸刈りにされた。また、とある施設では着用できる服のデザインに規制があり、自由時間であっても指定されたジャージを着用しなくてはいけない。
実際、入所時に髪を黒くさせるところは、かなりの数にのぼる。施設に入る以上、けじめをつけさせるというのがその理由の1つ。とはいえ「カタチから入る」日本らしい処遇だ、などとのんびりしてはいられない。学校教育現場においては、頭髪の制限を子どもに強制させることは、過去に裁判で争われるなどし「事件」化しつつある。

施設が子どもに対して、何かしらの制限を課すには(その妥当性は様々議論があるだろうが)理由がある。私が現在行っている児童自立支援施設職員へのヒアリング調査では、①髪型・服装の乱れは心の乱れであり、施設生活からの逸脱の最初のサインである ②児童に自由な服装、髪型を許可すれば、統制できなくなる ③家庭の経済状況により服が異なることは、子どもたちに悪影響がある ④逃走防止のためにジャージは有効である ⑤施設生活に自由がないことを明確に理解させ、選択の余地がない施設生活にもう戻らないと決意させる効果がある といったような声が上がっている。

実に様々な理由がある。では出身者は、これらの制限についてどう感じていたのだろうか。
勉強会では、①学校では、いろんな髪型や服装をしている同級生がいるのに、自分だけできないのは不満だった ②同級生がファッションについて話をしていたり、買い物に行ったりしているのに、自分だけ話題に加われないのが苦痛だった ③服装についてのルールが職員の好みによって運用されているように感じた ④服装についてルールがある理由がよくわからなかった ⑤どんな時もジャージを着ることは我慢できなかった などの声があがった。

他の施設出身の若者からは、①ジャージを着せることは逃走防止のためではないか ②着ていいデザインとダメなデザインのそれぞれの根拠が知りたい ③施設である以上、服装の自由がないのは仕方がない などの意見があがった。

私は、頭髪・服装の強制は、処遇上の一時的な効果があったとしても、実施すべきではないと考える。第一に、子どもの権利保障という観点である。児童自立支援施設に入所してくる子どもの多くが、様々な家庭問題、養護問題を抱え生きづらさを抱えている。そうした子どもたちは入所前も様々な制限を受けてきた。本来施設に保護することによって、そうした制限を解き放つことが求められるし、子どもの自立や成長につながると考えられる。それにもかかわらず、施設生活において新たに制限を課すつまり、またしても子どもが「制限を受ける」ことは、子どもの成長にとってのデメリットが大きいと考える。
2点目は、頭髪・服装の強制が「自立支援」に与える効果が検証されておらず、また効果がないと考えられることである。多くの施設において、頭髪・服装の強制は、施設生活への適応を例えば、けじめをつけさせる、施設に戻らないことへの動機づけなどを図ることを目的としている。
強制する根拠として、他にも季節や体に合った服を着用することでの健康管理・身だしなみの管理、TPOの学習などがあげられるが、極めて後付的な位置づけであると考えざるを得ない。服のデザインや髪の色が違っていようが、身だしなみや健康の管理は助言・指導できることだ。また、TPOについては、子どもの退所前のステップの時に助言・指導すればよいのであって、入所時から一貫して規制する理由にはなりえない。
むしろ、着たい服を着る、選ぶという数少ない自由を保障されることが、子どもたちにとって、施設生活を維持するモチベーションにつながるのではないだろうか。施設は集団生活である以上、様々なルールが存在してしまう。処遇上必要なものもあるのかもしれないが、施設側の「管理しやすさ」「処遇しやすさ」のためのルールや制限は、極力排するべきだ。
平成18年の施設内での集団暴行を受けて出された「愛知学園のあり方に関する報告書」においては、「子どもの最大の理解者になる姿勢の不足」が指摘され、「個別処遇」の大切さが再度(1)指摘された。頭髪・服装に関する規制・強制について言えば、そうした子どもの理解者となる姿勢の重要性や個別処遇の大事さが全く反映されていない。



本来、児童自立支援施設は子どもたちにどんなケアをするべきなのだろうか。児童自立支援施設は、以前は「教護院」と呼ばれていた。教護院で行われる生活指導、学科指導、職業指導はすべて少年の不良性の除去のために実施されていた。児童自立支援施設移行後も、実は不良性の除去に主眼が置かれているのではないか、先に抜粋した検討会の議事録での発言からはそのように感じられる。つまりは、未だに教護院での実践から何を受け継ぎ、何を変えていくべきなのか整理されていないのではないか。

児童自立支援施設の設置目的は児童福祉法では以下のように記されている。

児童自立支援施設は、不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、又は保護者の下から通わせて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援し、あわせて退所した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする。

法が示す目的に照らせば、自立を支援する、その施設での処遇が若者の自立を阻害する要因になってはならないと考える。そして、施設で行われる処遇の妥当性について、今一度、自立に資するかどうかという観点で「入所する児童と共に」再検討するべきである。

処遇の評価という点では、自己評価や第3者評価が行われることになっている。第3者評価については、一時的に施設に関わるだけで、施設の処遇や児童のニーズを汲み取れるのかという批判や懸念もある。しかし、私は第3者評価こそ、むしろ毎年実施すべきだとさえ考えている。児童自立支援施設での実践は、外部に公開されることは稀である。枠の外にいる人たちがみて、子どもたちが枠の外に出ても安心できる処遇ができているかどうかは、常に児童に関わっている職員よりも、第3者の方の目で見ていただくことも有用であると感じている。
第3者評価を行う基本姿勢として、「施設だから仕方がないよね」という視点ではなくて、将来施設を出た若者を迎え入れる側から見て、今の処遇は適切か見ていただきたい。第3者評価も自己評価も、日々の実践をよりよくするためのヒントを探し出す過程である。施設というフレームに子どもを当てはめることなく、評価がなされることを期待したい。

≪註≫
(1)愛知学園のあり方に関する報告書において、「個別処遇については、平成14年の事件を踏まえ、最も重視して取り組まれたはずの部分である」と指摘されている。