だからこそ、生き抜いていく。

今日でシングルパパになって2年が経ちます。明日は、最愛の人である妻が亡くなった日。末っ子の優奏(ゆうた)が生まれて、1か月。退院し、職場への挨拶、友人たちとの会食を済ませた後の帰り道。少年の乗ったバイクにひかれて亡くなりました。その少年は、無免許そして少量でしたが飲酒の上、運転していました。

私が、余りシングルパパになった経緯を話さないのには、理由があります。1つは、少年たちには前途があり、私がこうして経緯を話せば、その未来に、必要以上に重い、辛い枷をはめてしまうことになると考えているからです。
もう1つは、妻が亡くなったということに向き合えていない、向き合える時間もほとんどなく過ごしてきたからです。経緯を話すと、自分が壊れてしまう、そんなことを今はできない、そう考えています。


シングルパパになるという実感は亡くなってすぐには湧いてきませんでした。当時ですらパパとしてもまだまだ半人前で、てんやわんやしていた自分、これから子どもたちをどう育てていくのか、どう生き抜いていくのかということで、頭がいっぱいでした。

子どもを施設に預けるという選択もあったのかもしれません。実際、今も児童相談所・保健所の方は、施設に預けることを考えるべきだと進言してきます。しかし、母親と引き離された子どもたちに、さらに家族で過ごす時間を奪ってしまう、そんなことを選択できるはずもありませんでした。親としてのつまらない意地だったのかもしれませんが。

妻を亡くして、子育ての量が2倍になるだけだから、何とかなるだろうと最初のうちは甘く見ていました。しかし、実際にはいろいろなことが子育てに関わってくることもあって、すぐに根をあげることになります。

実際、子育てしているとわかると思いますが、子育てにかかる負担よりも、子育てをする環境整備、調整の負担が異常に重くのしかかってきます。例えば、子育てで忙しいからといって、講義の負担を減らすことは、すぐにはできません。学内業務も、そして会議も時間的負担が読めないことが多々あります。NPOでは、スタッフの皆さんがどう仕事と子育てを両立できるか、ということについて様々知恵を出してもらい、スカイプ会議や在宅ワークなどができるよう環境整備をして下さりました。

口では「何か困ったことがあったら、言ってね」こんな言葉をかけて頂くこともたくさんありました。その気遣いにはとても感謝しています。とはいえ、本当に何か困った時、困っていることは、そうした個人的な付き合いレベルでなんとかなる問題でないことも多いです。それを肌で感じてしまうと、なかなか悩みを言い出しにくく、結局すぐに解決する動きを起こせるかもしれない課題だったのに、悪いのは自分のせいだ、自分のことで職場に迷惑はかけられない、と思い込み、仕事の面でも遠からずネガティブな影響を与えることになります。

さて、父子家庭の現状を語ると、「なぜ、親と同居しないの?」と言われます。私は生まれてすぐ、実親に棄てられ、施設・里親の下で育ちました。「頼れる親」はいません。同居すれば、困らないよねというのは、問題の先送りあるいは、問題の核心をうやむやにしているのではないでしょうか。
様々な家族、家庭のあり様を前提に、必要な支援を性差に関係なく受けられるようにしてほしい、私の思いの核心はそこにあります。頼れる資源を使えよ!!という声もわかりますが、使えない、活用できない背景は何か、ということに思いを馳せて頂きたいです。

その背景には、「男性像」が大きく関わっているのではないでしょうか。父子家庭になったとき、様々な支援策の情報をかき集めたこともありました。そんな時、「理解のある方を妻に迎えればいいのではありませんか」ととある母子家庭を支援している団体の方に言われたことを今でも覚えています。男は「稼ぎ手」であり、一定以上の収入があるべきだというような前提条件がそこには感じられます。シングルパパが支援を受けることに対しての猛烈な逆風を生み出している背景には、そうした固定的な男性像、子育て観があるのではないでしょうか。


父子家庭についてその実態をいくつかみていきたいと思います。独立行政法人労働政策研究・研修機構が行った調査によれば、父子家庭は、ふたり親家庭や母子家庭に比べても、子どもと一緒に過ごす時間が少ない傾向にあります。(2時間以上と答えた割合:ふたり親家庭 89.9%、母子家庭 81、9%、父子家庭、65、5%)1時間未満あるいはまったくないと答えた割合は、父子家庭では19.9%でした。また父子家庭においては、子どもの孤食の割合が高いという特徴も挙げられます。
その背景には、父子家庭においてはいずれも、母子家庭よりも長時間労働、就業時間の不規則性、深夜労働の割合が高いです。ふたり親世帯の父親とほぼ似た傾向にあることから、ひとり親世帯になったシングルパパは働き方を変えるのがなかなか難しい状況にあることがうかがえるのではないでしょうか。
こういう状況下においては、やはりというべきか子育てに関する情報をえることもなかなか難しいといえます。これも労働政策研究・研修機構が行った調査でみていきましょう。例えば、学童保育というサービス(制度)があることを全く知らないシングルパパの割合は、14.3%(ちなみに、シングルママは4,9%)です。
父子家庭特に祖父母と同居していないシングルパパは、子どもの悩みについて、相談する相手が誰もいない割合が同居しているシングルパパに比べて高いという調査結果もあります。(1)

親と同居しないの?の問いに戻りましょう。もし親と同居すると、シングルパパの母親が家事、子育てをすることになります。そしてシングルパパは、仕事に打ち込むことができるようになります。しかし、結局、男は稼ぎ手という従来からの固定的な男性像、子育て像に基づいています。最近になり、イクメンという言葉が登場して、子育てに積極的に参加したいと考えている男性も増えています。そうしたイクメンをサポートするような動きも活発です。しかし、子育て・家事を一手に引き受けるシングルパパには、逆風が吹き続けている。これはいったいどういうことでしょうか。
イクメンという言葉の根っこに、父+母+子どもという暗黙の前提条件の下、独り歩きしているのではないでしょうか。幸せな家庭像があって、それにもっと父親が参加しやすければ、ハッピーだよねというのでは、結局シングルパパ(あるいはシングルママ)の存在を潜在化させてしまうことになります。

どんな家庭環境であっても、子どもには一定程度の生活レベルが保障されなければ、貧困が再生産されることになります。しかし、今のような制度の不足、シングルパパへの逆風が続けば、仕事も家事も子育ても、「スーパーマン的パパ」にならなければなりません。それでは体も心も酷使し続けることになります。長続きはしません。必要なときに必要な分、支援を受けることができる体制をつくることは、長期的な視点で見れば、十分政策としての妥当性があるはずです。


少し硬いことを書きすぎました。子育てできる時間はあっという間です。だからこそ、大事にしたい時期だともいえます。しかし、日本社会においてはその貴重な時間を過ごすことが難しい状況があります。

我が家でいえば、時間が不規則、家でも持ち帰り仕事、父親としては頼りない(笑)という中で、子どもたちと関わる時間はかなり少ないです。子どもたちにしてみれば、母親を失った悲しみを、父親である私にぶつけることができずにいます。それは私にも言えます。子どもたちの抱える悲しみ、あるいは寂しさ、違和感をどう受け止めればいいのか、逡巡してしまうときがあります。

子どもとの向き合い方、いろいろ考えて、あー失敗したと思うこともしばしばです。母親がいないこと、失ったことの悲しみに目を向ける余り、子どもたちに言うべきこと言えなかったり。子どもとのコミュニケーションって、本当に難しいです。

最愛の人は、今の僕たちの様子どう思っているのでしょうか。たぶんドキドキしながら見ているんでしょうか。

異国の地から留学生として日本に来て、そして自分と出会った。いつも微笑みと気遣いを忘れなかった、自分なんかでいいんだろうかと何度も思った。自分と家族をつくって、幸せだったんだろうか。思い返せば、家族のありがたみを知らない自分、彼女をいろいろ困惑させることもあった。でも、いつでもあなたは、側で話を聞き入り、時には大丈夫と励ましてくれた。きっと自分から話したいことも、辛いこともあったはずなのに。

あなたが教えてくれたこと、子どもたちにも伝える、それが今の自分ができること。そのためなら、どんなに辛くても生き抜く、全力を尽くす。



愛する息子たちへ。

もう2年。早いね。みんな大きくなった。お手伝いもできるし、毎日、保育園、小学校であった出来事、よくできたこと、がんばったこと教えてくれる、とーちゃん嬉しい。毎朝ママにもそれをおすそ分けしてるんだよ。うれしかったことを、分け合えるってとっても大事なこと。

いつもみんなから嬉しいこと、おすそわけしてもらってる。幸せだね、とーちゃんは。でも、みんなには、とーちゃん以外の人にも嬉しいことのおすそ分けしてあげてね。




≪註≫
(1): 北海道民生委員児童委員連盟ひとり親家庭調査2008年では、非同居世帯では19、9%、同居世帯では6,5%である。

≪参考≫
(1)独立行政法人 労働政策研究・研修機構「子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査」2012年