福祉の社会観を問い直してみたい 〜自立と包摂の間で揺れる福祉実践〜

家で暮らせないってどういうことなのだろう。ここ数週間、業務、個人的な勉強や家庭での出来事などいろんなことが相まって、考えることが増えた日々だったように感じる。今日は、火曜日に伺ったタイガーマスク基金の勉強会も踏まえ、いくつか考えたことを書き記したい。

まず、最近の出来事から。私自身の生い立ちつまり出自について語ると、結構なインパクトがあるらしい。とはいえ、大学院に進むまで自分の出自そのものが、自分以外の方にそんなにインパクトがあるものだとは思っていなかった。それは、家庭で暮らしていないことが自分の中のOSにおいては、デフォルトであったので、人と違うんだということは認識できても、どれくらいの格差や違いがあるのか、今一つ飲み込めていなかったことに起因するのかもしれない。
最近では、勉強会、講演などの場でごくたまに施設で暮らしいたことを、カミングアウトすることも増えてはいる。その中で親への思いを聞かれることがある。先日、児童福祉、里親や相談支援にあたられている方に向けた研修会に呼んで頂き、お話をさせて頂いた。その中で、参加者の方から質問(意見)があがった。

「あなたのお話を聞いていると、親に対する否定的な感情で占められているのではないかと感じた。でもせっかく産んでくれたのだから親に感謝してはどうか。親にも事情があったのだから、もうあなたは立派な大人なのだし、許してあげたらどうなのか。その上で、今日の施設の子どもたちの立ち直りの話をお聞きしたかった。」


よくある意見なのだと思う。実際私も施設職員や里親などから、散々「許してあげれば」という言葉を投げつけられた。否定的な感情も何も、これっぽっちも肯定しようなどという思いはない。そして、親の事情など子どもには全く関係がないことだ。ということをいつも思っている。
施設の現場を様々な視点で捉えなおしてみると、実は福祉施設の職員が一番、社会規範に「過剰適用」することを利用者に迫っているのではないか、という疑問が湧き上がってくる。言わば、福祉の「社会観」が硬直化しているのではないか、そんな問いになる。
私のケースで具体的にいえば、親がいることが幸せだという価値観が実践の前提になっていないだろうか。日本の児童福祉における様々な実践(援助)は、マイナスをゼロにするということに実は重きが置かれてきた。障害児福祉における療育にしろ、児童自立支援施設での指導にしろ、そして児童養護施設での自立支援にしろ、いかに普通の生活に戻したり、格差を埋めたりすることなどに力が注がれてきた。
先日のタイガーマスク基金の勉強会で、養護施設の子どもたちの自立心の高さを講師の方が指摘していた。確かに結果的にそうならざるを得なかったとはいえ、そういう部分も持ち合わせている、そしてそれを前向きに捉えるという視点もとても大事なことなのだと気づかされた。
一方で、社会から自立せよと迫られた中での自立には、様々な困難が伴う。そもそも自立とは、その言葉とは裏腹に様々な人間関係の中で、とりわけその相互依存を前提としている。頼るものがなければ、「自立」はとても成り立たないということだ。頼るものがない状態で、自立をすると、様々な環境の変化によって、それはあっという間に吹き飛ばされてしまう。

私が施設で暮らしていた時代は、まだ職員さんは「先生」と呼んでいた。あくまでも先生の「指導」には従わなければいけない存在だった。つまり、子どもの育ちを指導することによって、子どもにとってマイナスの状態にある様々な問題を除去したり、軽減したりする実践を行ってきた。しかし、それらの実践は時に、子どもたちが抱える施設生活への複雑な感情を押し込めることにもなる。とりわけ、親に対する思いや施設で暮らしていることへの周囲からの眼差しへの違和感などは、なかなか相談しづらい状況に追い込まれる。

では、施設の職員、あるいは里親の人たちに、何が役割として必要とされるのだろうか。施設で暮らすことへの猛烈な違和感、あるいは憤りも含め、まず子どもの思いを受け止めてほしい。本来多様な背景を持ち、様々な属性を抱えた人たちが、自らの尊厳を失わず暮らしていける、そうした環境を整備することが施設職員の、里親の役割なのではないだろうか。
そもそも、児童福祉に支えられるまでに子どもの多くは、その尊厳が傷ついている。いくら積み上げられた実践とはいえ、子どもたちの尊厳を圧殺しかねない価値観の強制は、現に控えるべきだ。価値観の強制は、実は職員自身が気づいていないことが多い。理由はいろいろ考えられる。しかし、人が各々持っている価値観は異なるという一見当たり前のことが、実践の中で意識されていないのではないだろうか。

自らが持っている価値観について意識化するということが、社会福祉実践において非常に重要な位置を占める。(つづく)


ウィンブルドンを見ているので、今日はこの辺で。