療育って何のためにあるんだろうか。~変えることを恐れずに~

おいしいケーキを食べたいと言っている息子たち。おいしい基準がわからないので、ちょっと放っておいたら、、ケーキ食いたいの大合唱が始まったので、どこか連れて行かなきゃな。友達と食べたケーキおいしかったけど、ここのは口に合うのだろうか。
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最近、facebookを見ていると大学時代の友人たち、とりわけエンター団の皆さんの楽しそうな姿を拝見して、みんな元気だなとちょっとうらやましく感じる。大学を卒業しても、絡みがあるというのは、実はとてもよいことなのだなと思う。
しかし、大学時代の友人に限って言うと、エンダ―団・オリタ―団の人(特に執行部メンバー&とっても愉快な仲間たち)は結構facebookやっているイメージあるんだけど、それ以外の人はあんまりfacebookやっていない感じがする。そういえば、アルペンスキーのみんなや、エンダ―団に特に絡みのない友人たちとは、メールか電話か強いて言うならLINEかな。さてこの温度差は何でだろう??気にするのが野暮ってもんか。

何となく気持ちの整理がついたところで、いや全然ついていないのだけれども、最近かなり気になっていることを書いておきたい。

それは、ずばり「療育って結局何のためにあるの?」ということである。またでかい疑問ぶち上げたなと思ってらっしゃる方もいるだろうな。でかい疑問というより素朴な疑問なのです、これ。そして結構切実な問題も絡んでいるのです、と前もって主張しておく。

幼少期、小学校と特殊教育と肢体不自由児施設(現:医療型障害児入所施設、福祉型障害児入所施設)と里親の下で暮らし、中学・高校とやんちゃをしまくり、児童自立支援施設にぶちこまれた経験のある自分が言ってもいいのか悩むのだけど、「療育」はあくまでも子ども期専用のものだということ。
療育って、ファミコン&TDLと同世代の自分には、家庭での生活を無理矢理子どもに放棄させ、訓練を通じて、障害を克服ないしは軽減させる取り組みというイメージが強い。ちょっと刺激的な書き方だけど、実際そう感じた。施設で暮らした時に、毎夏やっている24時間テレビに出たことがあるんだけど、その時も、親元を離れて頑張っている子どもたち(+支える大学生ボランティア)というイメージで拡散されていた。さすがに最近は週末は家で過ごせるようになったり、持てるおもちゃの制限もゆるくなっていたり、変わりつつあるのだけれど。

療育の現場である施設では、施設卒業後の暮らしを視野に様々な取り組みがなされていた。将来の通学に備えて、「屋外登校」や、お金の使い方を学ぶ「おやつ購入」、ハマ付き自転車に乗る練習とか、蝶々結びの練習とか、いろいろやった。一番社会に出て役に立ったのは、蝶々結びの練習かな。何を隠そう子どものころは全くできなかった。これ、ほんとマジです。習得するのに半年、人並みのスピードで結べるようになるのにまた半年。おかげで、紐靴を躊躇なく選ぶことができるようになり、オシャンティーな生活を送れています。練習に付き合ってくれた前田先生、村田先生、(両方とも看護師さん)元気にしてるかな。施設にいると、どうしてもできないことが多い、結局地域に出て、地域の学校に戻った時、同級生の会話についていけないことがしばしば。ゲームボーイは2,3か月に1回の面会日のみ。新しいおもちゃに交換できるのもそのタイミング。どう考えても世の中の流れからは置いてかれる。私が里親のところに戻るのをかたくなに拒否したのも、実は卒業後の学校生活に不安を感じたというのが、一番の理由なのかなと今振り返ると、そう思う。

地域での暮らしに不安はあったけど、当時の仲間は前向きだった。同世代の男子3人の間で、その地域の私立中学に3人で合格しようなんていう約束があった。結局自分は寮のある学校に行ったのだけど。自分たちの間でも、養護学校(現:特別支援学校)は温室育ちというイメージがあって、ちょっと将来に不安を感じていた。親の影響が結構あるのだろうと推測される。自分の場合は2人に流されて勢いで約束しただけだけど・・・。

話が横道に・・・、戻そう。子どもの時に感じる将来の不安は、目に見えるハードルをどうクリアするかというものが中心のように思う。子ども期は確かにハードルが多い。試験やら部活やら、受験に就職。ある意味、目標はたてやすい環境にあるといえるのかもしれない。もっとのんびりしたいのが本音ではあったが。

で、いざ大人になってしまうと、健康管理が気になる。なぜ気になるかと言えば、大人になって仕事をし、がんばって税金を納める。職場でいろんな問題に巻き込まれたり、あるいは家事にドタバタしたりで、非常に余裕がない生活になる。そうすると体のメンテナンスをする時間がなくなる。時には、頑張りすぎて体にがんばってもらうこともある。
体を酷使し続けると、2次障害というものに出会ってしまう。訓練からもかなり解放されて、落ち着いていた日々だったのに、やっぱり自分って障害者なんだなとショックを受ける。何がどうショックなのかって、何も凹凸のないところで転倒する、肩、首や腰が痛い。疲労が溜まりやすくなる、悪化すると仕事や日常生活に多大な影響が出るレベルになる、などなど。
よく考えれば、当たり前のことなのだけど障害によって、健常者よりも身体的機能が劣る中で、健常者が何気なくできていることを、幼少期の訓練等で代替できるまでにがんばる。がんばれるようになったので、社会の中で頑張って働いたり勉強したりする。がんばるってことは、体にがんばれ~と言い聞かせながら、動かしているわけで、無理が重ねれば体が悲鳴を上げるのも無理はないことだ。

で、子ども期の訓練で、青年期に出遭うであろう2次障害について何か教えてくれたかなと振り返っても、そんな記憶はない。がんばる土壌を作ってくれたのは確かに幼少期の療育だ。いろんな先生の献身的なサポートで、蝶々結びができるようになって今がある。ちょっと言い過ぎたか。確かに青年期の入り口に立つためのレベルアップは、相当療育でなされたのは確かだけれども、青年期以降の体のケアをどうするの?ということについては、その体制整備も全くなされていない。
未来ある子どもたちに、2次障害なんて言って不安にさせるのはよくないという配慮もあるのかもしれないけど、2次障害は悪化しすぎると、日常生活に支障を来す。NEWSやゆずのライブに行きたいなどと言っていられない状況になってしまうわけで、そんなの冗談じゃないぜ。

最近、自分も体のメンテナンスが足りてないな、腰痛も重くなってきたし、一度病院に行かなきゃとここ数年探しまくっていた。
なぜ探しまくったかというと、2次障害に精通したお医者さんってどこにいるの?リハビリしてくれるところはどこ?といった疑問を解く鍵はネットには全く落ちてなかった。有名どころの病院はあるんだけど、通える距離でもない。大学病院なら、誰かいるだろうと思っても診察日に専門の人にあたるとも限らない。ほんと、ないわ~。大都会東京に移って激しく後悔した自分。なぜかと言えば、地元であれば施設にいって、ケアしてもらえる。完全ホームじゃなくても、近場なら紹介状書いてもらうのもラク。

そうなると、痛みをやり過ごしながらがんばる。これ、ほんとやりすぎると、体に怒られます。おい仕事休めよ!!もうしらねーよって言ってきます。この体の言い分聞いてあげないと、大変なことになる。施設時代に、やんちゃなPT(理学療法士)がいて、その先生が2次障害について、追跡調査をされていたので、2次障害という言葉も意味も知っていたので、早めに対処できた。

療育は成長する子どもを様々な面から支える総体的取り組みだ。子どもの発達を促すことがメインだけれども、最終的には、障害があっても楽しい暮らしを送れるようにという、どっちかという大人目線の概念、取り組みになっている。子ども目線に立った時、あるいは当事者目線に立った時、療育とはどうあるべきか、という視点での議論が決定的に欠けているのではないか。
青年期以降も見据えた福祉制度、教育、地域生活、医療体制、様々な社会資源の配置などなど、支援のあり方そのものを見直す必要があるのではないか。何をどうすればいいのかというのはなかなか組み立てられないのだけど、まずは青年期を迎えた人たちの現状をかき集めること、高校生、大学生等の障害のある若者の声を聴くことが必要だろう。
とりわけ後者は重要だ。今までは当事者の語りと言っても、おっちゃんおばちゃんが中心だった。有名どころだと青い芝の会。なかなか若い世代の声が聞こえてこない。現状を耐えることも大事だけど、変えて行くこともしないと、暮らしは豊かにならない。声を上げないと世の中気づかないよ。これは先人たちががんばった闘争ともいえる障害者運動の歴史でも十分すぎるほど、証明されている。
療育の概念は健常者側から出てきたものだ。一定の役割は果たしたのかもしれない。でも絶対じゃない。まずは療育から変えたい、そう思っている。本当に今のままでよいのか。子どもたちが子どもらしい生活を送れるにはどうしたらいいのか、もっと子ども目線で考えてもいいのではないか。もし療育がその壁になっていたり、あるいは大人になった後の不安を拭い去る力になれていないのなら、変えて行くことを遠慮していてはあかん。

もっとやれし、自分。そんなことを思いつつ、今日はここまで。