とあるシングルパパのグチ

夏の暑い時期は仕事したくないなと思っていたら、もう9月。今朝、子どもと一緒に保育園へ向かういわゆる子連れ通勤の道中、風が少し涼しく感じられるようにった。もう秋の足音が小さいけれど聞こえるようになってきたと言えるのもかもしれない。と思ったら、竜巻や豪雨があったりで、夏と秋のせめぎあいは当分の間続きそうだ。

そんなせめぎあいを暮らしの中で感じている近頃、子育ても家事もいっぱいいっぱいな状況なのだけど、正直何が原因なのかよくわからない。息子たちとの時間は大切にしたいし、家事だって、息子や弟たちの日々のコミュニケーションの一環だから、決して苦ではない。仕事が原因かといえば、そうではないだろう。この時期は、社会福祉士の実習指導の一環で巡回指導などもあり、学生さんと一番近い距離で、成長を見れるし、共に考え、格闘する時期だ。正直、学生さんとじっくり話せるタイミングは限られる中では、貴重な機会と言えるかもしれない。研究も日々いろんな方に支えて頂きながら、格闘する日々を続けている。
よく考えると、子育てと家事、そして仕事のすきま時間があまりなくなっているのかな、あるいは充実していないのかなとも思う。毎日毎日の積み重ねの中で、様々なイベント、タスクが続くと、疲労がたまる。自分ではがんばってないつもりでも、紡がれる日々の中でリセットしたり、リトリートしないと、擦り減ってしまう。

妻が生きていれば、と思うこともないわけではない。いろいろ子育てや互いの仕事や趣味、興味関心などについてざっくばらんに共有できる時間があった。しかし、今はいない。相手の話を聞きながら、思慮を巡らせたり、会話を楽しんだりする時間がいかにかけがえのないものであったか、何気ない日常を共に歩んでいくことができなくなったという現実は変えようがないのだなと、改めて思わざるにはいられない。

子育ても家事もたまに投げ出したくなる。抱え込むのはしんどいが、逃げ出すのも辛い。どうしようもない状況の中でどうすればよいのか。気分転換する時間も、ひとりになる時間もない。ちょっと休んで、ぼーっとするだけでいい。でも世の中そんなに甘くない。ごはんつくらなければ、子どもたちは困ってしまう。洗濯しなければ、弟たちも困惑してしまう。私が彼らの前から消えてしまうと、家族が悲しい思いをするだろう。そんな思いをさせるために、自分は生きているんじゃない。でも今が辛い。追い込まれたときに脱出する時間、居場所があればなと切に願う。