弱くてもいい、泣き言だって言ってもいい。 ~そんな日が来ることを願って~

秋が深まったなと思っていたら、夏がまだまだオレの出番だぜ!と言わんばかりの状況に、もう10月だから出番なし!と誰か言ってほしくなるレベルのお天気が続いている。
そんな中、保育園では秋らしくお芋ほりをし、今年は豊作だったのかお持ち帰りの量も多くて、これからどうしようかなと思案している。かたや小学校組は運動会、遠足等イベントが結構盛りだくさん。毎日元気に通っていて、その姿を見ているだけでほっとする。

さて後期授業も本格化。序盤戦だが相変わらずの自転車操業。雑務がうなぎのぼりで増加する。そしてこの時期は申請書類作成に時間を取られる。あと履歴書の作成とか。授業の準備は、子どもたちが寝静まってから猛烈な勢いでするので、睡眠時間は削られる一方だ。この時期は子どもたちもイベント事が多く、お弁当なんてタスクが発生した日にはもう徹夜。仕事も家庭も自転車操業。夏のつかの間の休日が懐かしい。

ゼミも始まり、今日から基礎ゼミでは家族の多様化をテーマにいろいろ議論する場をつくりたいと考えている。

そんな中、タイミングが超ラッキー。今日のクローズアップ現代「父子家庭 急増の陰で~虐待死事件の波紋~」を視聴。東京・江東区の4人の子どもを持つ45歳の無職の父親、いわゆるシングルパパが、5歳の長男を虐待し、死なせてしまった事件。これを手がかりに父子家庭が抱える課題に迫ったものだった。このシングルパパは4年前、勤めていた建設会社が倒産し失職した。1年前に妻と離婚、生活保護も受給していたようだ。

家族の多様化、ライフスタイルの多様化、そうしたことが言われるとき必ず猛烈な非難が浴びせられる。
例えば、父子家庭に小学校高学年、あるいは中学生くらいの男の子がいたとする。朝あるいは前日の夜、父親は息子の分のお弁当と自分の分のお弁当をがんばってつくる。こんなシーン、父子家庭には結構見られる日常だと思うのだが、ひとたび映像化されると意外な反応が返ってくる。弁当くらい自分で(息子が)つくればいいやろ、あるいは弁当なんていらんやろ、買えばいのに、といったような反応だ。

家族の多様化という言葉が、ある時期からかなりの頻度で言われるようになってはいるが、意外に両親がいて健康な子どもがいてみたいな家庭像のみが「正しい」と捉える向きは余り変わっていないのではないだろうか。
ただ、正しいとされてきた家庭像も、最近では不安定な雇用の増加、将来不安の高止まりもあり変更を余儀なくされている部分もある。それは、妻となる女性に企業就労を望む男性の増加だったり、育児休暇をとりたいと願う男性の増加だったり。まだ大きな流れとまではなり得てはいないのだろうが、そうした水面下の動きもある。
ただ、そうした水面下の動きの背景の裏には、やっぱり「正しい」家庭像、あるべき家庭像があって、でも現実そうはいってもねというある種の妥協の産物として、そういう一見柔軟な考え方が出てきているのではないだろうか。
「正しい」家庭像からちょっとでも外れると、様々な圧力がかかる。前述のお弁当の件、これだってお弁当を誰がつくろうが別にどうでもいいことなのだけど、こうあるべきだという主張をぶつける。
その根っこには、父子家庭でも、母子家庭でも頑張っているのだから、泣き言を言うな、甘えを言うな、あるいはあきらめろ、我慢しろというような類の主張。とりわけ、両親が揃っていた方が子どもにとっていいに決まっているという言葉。この言葉ほど、父子家庭、母子家庭を追い詰める言葉はない。

子どもに母親がいたら助かるだろうなと思うこともあるけど、現実は戻ってこない。現状がきつくても昔には戻れないのは、誰よりも、息子たちや父親である自分はわかっている。にも拘らず、現実はそうしたあるべき家庭像を投げつけられ、辛い思い、悔しい思いをする。泣き言言うなと非難される一方で、追い詰められる。そりゃ泣き言も言いたくなるし、ストレスもたまるってもんだ。
人と人が出会い、様々な関わりあい、時とし、ぶつかりあい、時には砕けることもあるだろう。関係ができたり、壊れたりなんてどこにでも、そしていつでも起こり得るのに、それに正しさや順序を求めることにどれほどの意味があるのだろうか。家族の形が変わることを非難して、何かよくなることがあるのだろうか。

もう1つ視聴して気になったというか、考えさせられたこと。困っている時に困っていると意思表示することの大切さ。困っている時こそ、自分が強くなければ、自分さえ我慢すればということで、孤立しがちになる。どうしても抱えきれない困っていることって、生きている中では大なり小なりあるのではないか。
今の仕組み、体制で意思表示、サインを受け取り対応できる体制なのかどうかは改めてかつ早急に確認し、整備すべき点は整備しなくてはいけない。できれば地域単位で、コミュニティを作れればそうしたサインを見つけやすくなるのかもしれない。

泣き言だって言っていいじゃん。弱くてもいいじゃん。弱さを認めることは勇気がいる。助けを求めることだってしんどいことだ。だからこそ、弱くてもいい、辛いときだってある。でもつながることを恐れないでほしい。