重荷を解き解すために・・・

先日NPO法人タイガーマスク基金さんが開催している勉強会に参加させて頂いた。これまでも勉強会には何回か参加させて頂いたけれども、今回は息子たちを友人たちに見てもらい、懇親会にも初めて参加させて頂いた。テーマは「子どもたちの権利を守り、自立を助ける法制度とは?」ということで、未成年後見制度や子どもの手続代理人制度の概要や課題について学んだ。


児童福祉の現場では、法律の谷間の間で辛い思いを抱え込む子どもたちに少なからず出会う。そのたびに無力感に包まれるのだけれども、法制度の面では、本当にゆっくりではあるが良い方向に進んでいる面があり、そうした面が現場で働く専門家の方や地域純民の方々に一刻も早く伝わり、活用されることを期待したいところである。


成年後見制度にしろ、子どもの手続き代理人制度にしろ、重荷を少しでも分散、軽減し、子どもたちがその未来への旅路を進みやすくするために存在するものだ。しかし、未成年後見制度においては「担い手不足」の、子どもの手続き代理人制度については「認知度不足」といった課題がある。そうした課題の解消には、より広範な声と連帯が必要である。



さて、勉強会後の懇親会で、タイガーマスク基金の安藤さんはじめ、いろんな方とお話しさせていただきながら、我が子たちの暮らし思いを巡らしていた。シングルパパ+多産家族な我が家。家事も育児も確かに大変。家族が多いとはいえ、自分自身はどこか孤独を感じることが多かった。実際、シングルパパになってからは、福祉をはじめとした政策面の壁や地域社会の壁に直面することもしばしばだった。お先真っ暗な状態に置かれた時、自分だけでは何とかしなくちゃいけないんだという思いに駆られた。親はひとりしかいない、こんな重荷を背負うともう身動きは取れなくなってしまっていた。

重荷をどうすればよいのか。社会的養護の場においても、それは大きな課題になっている。障害児系の入所施設、児童養護施設児童自立支援施設においては、児童福祉法が記す設置目的の中に、自立や独立自活などの言葉が盛り込まれている。しかし、自立の前に確立し、何としても提供すべきことがあるのではないか。早かれ、遅かれ、子どもたちは施設を巣立つことになる。否応なく自立を迫られる。それに向けて、準備をすることを否定はしない。しかし、施設で育とうが、里親の下で育とうが、親の下で育とうが、子ども期の時間に軽重はない。
ともすれば、大人の側から見れば、子どもは指導や育ての「対象」となる。実際、法律の中にも、厚生労働省が出している中にも、施設が利用する子どもに対して、どんな支援をどのような目的をもって提供するかという事は、非常に明瞭に記載されている。しかし、施設において大切な時間は、実は支援を受けている時の時間ではない。逆に言うと、子どもにとってみればどんな暮らしができるかということが大事なのであって、子どもたちは事実上、育つ場所を選べるわけではない。

施設とは子どもたちにとっての暮らしの場である、これは私の願いであり、持論でもある。将来を見据えた支援、子どもの抱える課題に向き合うことも大事だけれども、普段の暮らし、何気ない日常を大切にする、そういう姿勢と取り組みこそが大切ではないだろうか。
医学生の実習の振り返りや社会福祉士介護福祉士・保育士を目指す学生さんの施設実習後の振り返りなどで、障害があってもあるいは様々な困難を抱えても、元気いっぱい明るい姿に驚いた、そんな声をよく耳にする。子どもたちは暮らしている。療育や指導漬けの毎日を送る中でも、日常を見出し暮らしている。逆に施設で暮らしは、療育や指導と隣り合わせであるがゆえに、子どもの問題に焦点が行きがちになることも多い。


子どもたちの思い、子どもたちの願い、一見ソーシャルワークはその実現のために日々の実践を行っているように思われる。実際そういう側面もある。他方、「実践」がどれほど子どもたちの日常を豊かにしているのだろうか、という素朴な疑問も持つ。家庭での生活がすべていいとは言わないし、言えるはずもない。施設と家庭どっちに望むべく日常があるかなんて、言えるはずもない。ただ子ども自身が可能な限りにおいて、自分らしい日常を築くことができるようにするのもまた、専門家たる人たちの責務なのではないか。


児童の権利擁護にかかわる法制も、ようやく子どもの利益に資するよう、その目的が改められ、制度改正が行われつつある。子ども期は未来への旅路の大切な期間だ。子ども期の航海の中で、荒波に飲まれないよう、重荷を解きほぐすことがとても大事、荒波にかき消されそうな穏やかな日常を守るために。





P.S.
いつも安藤さんにちゃんとした挨拶もできぬまま、場を後にする。今回やっと念願かなってご挨拶ができた。一歩前に踏み出す、自分の生来の課題ではあるのだけど、今回それが1つできた。日々成長である。