2017年も終わり

2017年もまもなく終わり。
紅白を見つつ、おせち作りや年越しそばつくりなどこなして、新しい年を落ち着いて迎えることができそうです。

今年は自身の職場も住まいも東京から福岡へ変わることになり、子供達にも少なくない負担をかけてしまったのではないかと思っています。
来年以降は、少し落ち着いて暮らせるかなと思っているので、少し待ってください。


今年は、社会的養護を巡る環境に少し、変化がでてきました。障害のある子どもの福祉も新しい動きがでています。
まだ自分の立場は定まっていませんが、豊かなな子ども期を目指すそのための研究や活動を続けていきたいと考えています。


今年も多くの人に支えていただき、励ましていただきました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。


それでは、良いお年をお迎えください。

ある日のやりとり 障害児保育園に行きたかった??

福岡、名古屋、東京の三都生活もだいぶ慣れてきた。ただ移動時間は大抵何かの仕事をしてたりなので、あまり休息がとれていない。そういう意味ではもう少し、安寧を得るためには時間が必要なようだ。


先日、ワークスペースで子どもにツイッターを覗かれながら、聞かれたのは障害児保育園のこと。期せずして障害のある子どもの福祉や暮らしについて、子どもたちに説明することになってしまった。「とーちゃんは行ってた??」と聞いてもきたが、そんな保育園は子ども期にはなかった。

ただやはり子どもは直球勝負で聞いてきた。「行きたかった?」


返答に困ってしまった。
当時の自分なら「ゼッタイ、イヤ!!」と答えていただろうなと思う。
というわけで、「ゼッタイ、イヤ!!」と直球で返球してみた。

ただ親としては助かる部分もあるだろうとは思うけど、子どもだからね、そこんところは、特殊な扱いはされたくないという直感的な思いが強くなる。


障害のある子どもの保護者の働き方、暮らしに目が行くことにもなっているので、その点については、施設としての意義は大切だと考えている。

こうした施設ができる前は、親は基本的に子どもに付きっきりの暮らしになる。昨今の状況を考えれば、共働きにしたいと考えている世帯も多い。ただ、一度子どもに重度の障害があるとわかると、行政の側からは、療育やケアへの参加を専従的に求められるケースが多い。実際、常用雇用率は「母親」の場合、子どもの障害の有無によってかなりの落差がある。親としての暮らしに大きな重しになり、経済的、肉体的、そして精神的な負担が増す。

様々な負担感が増せば、家庭生活への影響もある。それだけに専門的にケアしてくれる施設ができること、増えることは歓迎したい。

だけど、、どうも障害児保育園というのは、響きが重すぎる。通所施設や入所施設の持つ響きと変わらない。小さいうちから、障害の有無によって暮らす場所が変わる、隔てられてしまうことへの少なからず不安を感じるからだろう。

つまりは、豊かな子ども期に資する場所、暮らし方は何なのか。障害があることによって、自動的に、一方的に暮らしに様々な制限を受ける。それを継続されることによって、その後の暮らしの選択肢も小さくしてしまわないだろうか。

「障害児」といえば「療育」が半ばワンセットで語られる今日、療育が子どもの重しになってはいないかについて深めていく必要があるし、そして何より障害児の前に子どもであるという当たり前の事実にもっと真摯でありたい。

最近感じたこと

最近更新が滞っていますが、どうも学務が捗らずリフレッシュしたい気分です。

そんな今日ですが、ZACC raffineに行ってきた帰りに、買い物帰りの長男と合流し明治神宮に寄り道。

外国の方々が来るたびに増えている気がしますが、、参道のど真ん中でスマホで撮影するなど、ちょっとマナーも気になってしまった散策。


そのあとはバスで池袋に行き、ジュンク堂と西武に寄り道。

今はきんかんがおいしいらしいので、タルトを買って帰宅。何気ない日常w


子どもの貧困ハンドブック

子どもの貧困ハンドブック

上記の本を購入、昨今の貧困を切り口にした子どもの語りには違和感を覚えることも多いですが、
まずは読み進めます。

ほのぼの雑感 1の巻

GW明けから家庭内でいろいろあり、ドタバタした日を過ごす。
里親が暮らす北海道、今年は台風が多く心配。

GW明けから心真が入院。ほぼ毎日、朝病院に行きつつ、家事。
他の子どもたちも若干元気をなくしているので、いろいろ連れ出してみたり、
いつもより家で過ごす時間を増やしたり。
危ない状態は脱したけど、まだ油断できないかな。

仕事もなんだかんだで、タスクが積み上がってて追われる日々。
で、自分の健康管理は後回しになりがち。

ほんとは2週に1度通院しなくちゃなんだけど、3回スキップしてたら病院からお電話。
イケメン担当医から、やんわり来ないと怒るぞっとのこと。
で、次の日も電話があり、別の科の担当医からもTEL。

しかたなくテンション低めで、昨日病院に行く。
若干遅刻して行って、速攻で診察室でやわらかめのお説教。
で、エコーやら、CTやら、採血やらと、検査のハードルを通過、、、できず。
恐ろしく悪い結果が続き、担当医がびびる。
点滴3本落とされて、今日も精密検査って結論に。

で、今日も朝イチで病院へ、別の科の先生まで加わっての診察。
内視鏡検査を受ける。これ一番苦手。
吐き気止まらないし、喉の違和感ハンパないし、泣きそうになるし。
内視鏡の間も、点滴4本落とされた。
5時間の病院滞在後、今日のところは帰してもらい、来週MRを受ける羽目に。。
たっぷり処方箋渡され、服用する薬が10個になったのを呆然とするなど。

今日は暑かったなー、新宿。
北海道の物産展やってる京王に行こうと思ったけど、そんなテンションにもなれず。
でも、内視鏡検査がんばったご褒美にサーティワンへ。

いつもなら、検査結果聞くと2、3日落ち込むんだけど、
切り替えられるようになったのは少しは大人になったってことかな。

匿名に隠れた思い。

久々に北海道と三重で夏を過ごす日々を迎えています。子ども期を過ごした地でもあり、いろいろ思い出す日々でもあります。黒歴史とか。


毎日新聞は8月6日の社説で、相模原事件での被害者の匿名報道について、「子供に障害があることを恥ずかしい、隠したいと思っている家族はいる。ただし、家族にそう思わせている社会のありようにも問題の目を向けるべきではないか。」と述べつつ、「「匿名」では血の通った人間の実像が伝わらない。」と主張しています。
匿名にされることによって、障害のある人の存在が消されてしまったような思いを感じる人もいるだろう。一方で、過去に例を見ない事件の被害者として、報道や社会の目といった強すぎる光を浴びることによって、心ない声が被害者にぶつけられるのではないかといった不安を感じる人もいるのではないでしょうか。

子ども時代を思い出しても、両方の思いに心当たりがある。家族にも、本人にも入り混じった思いを抱えている人が少なくないように思います。


ただ「「匿名」では血の通った人間の実像が伝わらない。」という主張には理解はできない。人間の実像は、日々の暮らしにあるのではないでしょうか。これほど大きな事件の被害者としての角度から、報じられる人間の実像は、極めて画一的で、単一的な伝えられ方になるリスクが高くないでしょうか。

養護学校(今の特別支援学校)併設の施設で暮らしていた時、6人部屋の仲間は、私以外は全員重複障害のある仲間でした。障害の程度は多様でしたが、中でも隣のベッドにいた友人は、学習発表会での演劇に向けて、2つのセリフを壁に貼って、3ヶ月くらい朝晩毎日練習して、当日の発表会で、しっかり言い切っていた姿を見て、心底感動したことを今でも鮮明に覚えています。障害のない人からすれば、何てことのない出来事なのかもしれません。日々の地道な声出しを見ていた自分からは、日々の積み重ねの大事さをまざまざと見せつけられた衝撃が走った瞬間でした。

今のようなプライバシーが確保されていない施設の状況は変えなければなりません。しかし、そうした無機質な施設の中でも、日々の暮らしがあり、泣き笑いがあるということです。障害のある人は、不幸を生み出す人では決してありません。障害のある人を不幸たらしめているだとすれば、ざっくりいえば社会なのだと思います。今回の事件が、決して不幸の重荷をさらに背負わせることにならなないよう、立場を超えて一歩一歩社会を動かしていければと、考えています。