児童自立支援施設 試論その3 〜勇気のバトンをつなぐために〜

今年も春を迎えることができた。様々な思いを込め、スタートラインに立つ学生の皆さんを見ていると、こちらも身の引き締まる思いになる。今年度、我が家の息子たちの中に、そうした節目の年を迎える息子たちがいないので、少しだけ穏やかに春を迎えられているからこそ、こんなふうに落ち着いて、自らの気持ちに目が行くのかもしれないが。


さて、今回は少し長めの記事を書いておきたい。それは児童自立支援施設のことだ。先日も、児童自立支援施設で不適切な指導事案が発生し、報道されるに至った。子どもたちの声なき声をいかに聞くことができるか、そして施設だからこその処遇や指導が、本当に子どもの最善の利益につながっているのだろうか、ということを厳しく問わなければいけないと私は考える。
本来なら、先日の予告通り、谷口由希子さんのご著書「児童養護施設の子どもたちの生活過程−子どもたちはなぜ排除状態から脱け出せないのか」を基に、児童自立支援施設のことを論じたいのだが、その前に、児童自立支援施設の現状と課題について、私の経験も織り交ぜながら整理したい。


まず、どうしてこんなに児童自立支援施設のことを取り上げるのかということから綴りたい。そもそもは、社会的養護の語りの中で児童自立支援施設の語りに接することがないことに疑問を感じたからだ。


18歳を過ぎるまで様々な施設や里親の家での暮らしを余儀なくされた。生んでくれた親は、私が生まれた直後に育児を放棄した。そのため、乳児院に始まり、児童養護施設、肢体不自由児施設や里親宅と、転々と暮らしの場を変えることを余儀なくされた。居場所のない暮らしがごく当たり前だった。この居心地の悪さへのいら立ちから、人の道に外れたことも、問題行動も数多くやってきた。そうなると、教護院だとか児童自立支援施設での暮らしも当然視野に入ってくる。中学・高校と教護院、児童自立支援施設に入所し、仲間と出会ったし、他方でいろんな大人の姿を見てきた。
児童自立支援施設での暮らしでは、時として理不尽な指導とも向き合った。そんな指導に対して、施設の仲間とも、大人を試しながら指導への不平、不満をぶつけたこともあった。そして、そんな入所者とは非対称な関係の大人との共同生活、そして大人への様々な不安、不満や孤独感を抱えている仲間との暮らしを経て、里親の家での暮らしに復帰後、いろいろ自分なりに思いを整理した。本来なら児童自立支援施設で行う過程なのだろうが、名称変更間もない、いわば草創期の施設で、その過程を自分なりのペースで落ち着いて行うことはできず、今思えばくだらないと思える作業と、退屈で無味乾燥な日課をこなすのに、なぜか必死だった。施設で自分を見つめなおせるような環境ではなく、ただ職員からの厳しい管理、指導に耐えうる耐性と理不尽と思える指導をやりすごす術を身につける修行の場だった。


振り返ってみると、児童自立支援施設での暮らしで今があるというより、児童自立支援施設よりもマシな居場所があるということが、児童自立支援施設での暮らしで骨身にしみてわかったから今がある、と感じている。逆説的に言えば、設置目的が示す自立支援の役割を果たしているといえるのかもしれないが、しかし、何よりも子ども期の大切な時間を楽しく過ごせないのはどうしても理解しがたい。子ども期を楽しく過ごせるように、自分にできることをしたいという施設退所後のこの決意が、今の研究や活動の出発点である。



高校では、障害学生支援や障害児学童保育の活動に携わり、その活動を通じて出会った友人たちと、NPO団体を立ち上げるに至った。その後、高校生活もそれなりに楽しく過ごし、受験シーズンとなる。里親に負担をかけたくないので、大学進学はしないと当初は決めていたが、周囲の受験ムードに飲まれ、完全にノリで受けたAO入試に合格してしまい、何の目的意識もないまま、サークル入ってお酒飲んで、ワイワイ楽しくキャンパスライフを送ることを期待していた。
京都で晴れて大学生になった私は、勉強のことなんて眼中になかった。一人暮らしを始め、念願のサークルにも入り、我が世の春を謳歌しようとしていた。そんなときに、大学生になってからの初めての友人から障害児学童保育のサークルを勧められ、一緒に参加。これが思いのほか楽しかったし、勉強になった。知的障害や発達障害のある子どもたちと遊びを通して関わる中で、プールや料理などの遊ぶこと、体を動かすことの楽しさを再認識し、そして何より子どもたちの笑顔をうれしく思う自分の気持ちに気づくことができた。


その後も遊び4割、サークル4割、NPO1割、その他1割という学生生活が続いた。学業はその他1割の中に含むという、チャラチャラした生活を楽しんでいた。学業は、興味関心のある分野しかやらなかった。その中でも、児童福祉論、司法福祉論等はそれなりに真面目に出席していた。ただどのテキストをみても、児童自立支援施設のこと、肢体不自由児施設のことはおまけ程度にしか書かれていなかった。社会的養護の中でも、児童自立支援施設ってメジャーではないことになぜか落胆している自分がいた。

そして、2002年10月に児童自立支援施設で起きた職員殺害事件、その後の様々な問題を目の当たりにし、複雑な思いを抱くことなる。事件の起きた施設は、私がまさに過ごした施設だったからだ。


この2002年の職員殺害事件(以下、愛知学園事件)とはどのような事件なのか。いくつか新聞記事を追ってみたい。

愛知知県春日井市の県立児童自立支援施設「愛知学園」(間宮輝明園長)で、宿直だった職員が4日未明、入所している12〜15歳の少年4人に首を絞められ殺された事件で、少年らが県警の調べに対して、犯行の2、3日前、職員が4日に自分たちを鑑別所に移すことを電話で話しているのを聞いて犯行を決断した、と供述していることが分かった。施設側は移送の予定も話もなかったとしており、県警は少年らの思い込みで、施設からの脱走を図った可能性もあるとみて、慎重に調べている。
非行集団対策課と春日井署の調べでは、強盗殺人の疑いで逮捕された14歳の中学2年生と3年生の2人が脱走の計画を立て、同様に逮捕された15歳の中学3年生と、児童相談所に通告された12歳の中学1年生の2人が犯行に加わったという。
調べに対して、少年らは事件の2、3日前、施設の職員が電話で「4人のうち2人を4日、鑑別所に移す」と話しているのを聞いたと供述しているという。
14歳の中学2年生は先月7日、施設から逃走。この少年を含む4人は同28日にも施設から逃走、同30日に保護されていた。愛知学園によると、逃走などの非行を重ねると、児童相談所に通告した上で厳しい施設に移送する例もあるとしている。
このため、県警は少年らが別の施設に移されると危機感を募らせ、宿直だった職員の森野成雅さん(34)=同市高森台3丁目=を殺害してまで、脱走しようと決意を固めた可能性が高いとみている。
これに対して、施設側は「少年らへの対応を検討する段階で、具体的な話はなかった」と説明している。


朝日新聞 2002年10月5日

『「外で違う物食べたかった」…愛知学園の集団強殺』

愛知県春日井市の県立児童自立支援施設「愛知学園」(間宮輝明園長)で、職員の森野成雅さん(34)が少年4人に絞殺された事件で、少年らは「園内の食事は味の薄い和食ばかりで、外に出ていつもと違うものを食べたかった」と供述していることが、同県警非行集団対策課と春日井署の調べで5日、わかった。園内の生活は私服の着用も禁じられるなど規律が厳しく、県警は、少年らがこうした環境から逃れようとして短絡的な犯行にはしったものとみている。
関係者によると、園では、逃走防止のため、昼はジャージー、夜はパジャマの着用が義務づけられ、私服の着用は禁じられている。運動靴も、夜は鍵のかかるロッカーに保管されるなど、園生は厳しい管理下に置かれていた。
少年らは、少年鑑別所に移送されるといううわさを聞いて犯行を決行したことがわかっているが、「園以上に管理が厳しい鑑別所には、絶対に行きたくなかった」と供述しているという。
県警は5日、犯行に加わった4人のうち、中学3年生の少年(14)ら3人を、強盗殺人の疑いで名古屋地検に送検した。中学1年生の少年(12)と、便乗して逃走した2年生(13)の2人は、同日までに名古屋市内の少年鑑別所に移送された。


読売新聞 2002年10月6日


各々切り口の少し違う記事を引用したが、強烈な管理への不満と自身への処遇、職員への不信感などが積み重なった事件であることが読み取れる。ただし、本当に「短絡的な犯行」だったかどうか、事件の背景にある施設での処遇や指導の実態等を鑑みると、そう簡単に断定できるものでもないということは指摘しておきたい。


この事件の後、愛知学園では様々な問題が続発する。


女子棟で起きた職員への集団暴行事件。

愛知県立児童自立支援施設「愛知学園で、女性職員が入所している少女に集団暴行された事件で、春日井署は13日、15歳の少女3人を傷害容疑で逮捕した。
調べでは、少女3人は他の少女数人と共謀して9月26日午後2時ごろ、同施設敷地内の駐車場で、嘱託職員の女性(47)の腕をひっかいたり、髪をひっぱったりして約1週間のけがを負わせた疑い。前日の自習時間中に女性から注意を受けたことに腹を立て、暴行に及んだという。


毎日新聞 2006年10月14日 朝刊


その後も混乱は続いた。

女子職員への集団暴行事件が起きた県立児童自立支援施設「愛知学園」では、事件後1週間以上たった今も、女子棟に入所中の少女たちが授業をボイコットしたり女子職員の入室を拒否するなど異常な状態が続いている。
暴行に加わった少女9人のうち7人は同園の女子棟で生活している。しかし、女子職員に対する反発は収まっておらず、学校棟での授業や園内の農作業実習をボイコット。食事も自分たちの部屋に持ち込んで食べたり、大きな音で音楽を聴いている。4室に分かれて寝ることになっているのを無視し、1室にふとんを持ち込んで全員が寝るなど、事実上“ろう城”の状態という。


毎日新聞 2006年10月5日 朝刊


短期間にこれだけの事件が起きている。そして、集団暴行事件については、結局9名全員が逮捕・補導されるという事態になった。本集団暴行事件を受けて設置された「愛知学園のあり方に関する検討委員会」で、事件の背景も含め、詳細に検討、議論がなされている。報告書によれば、事件が起きる1か月前ころから逸脱行動、暴言、不満などが目立っていた。そうした不満が増大し、女子棟の入所者の間で共有されていたにも拘らず、抜本的な対応がなされていなかった。報告書では、今回の事件の検証として、職員個々の資質・姿勢の問題、組織の問題、危機管理の問題等、計6点に渡り問題点を明らかにしている。


報告書ではまた、職員殺害事件以降、「処遇現場の「安全」に対する意識が一層強くなったことから、活動の自由度の大きい行事、レク活動や生活技能を磨く体験学習が不足していたと思われる」と指摘している。


職員殺害事件は、愛知学園の処遇のあり方に様々な影響を与え、いったんは無断外出が減少するなど、処遇に改善傾向が見られたはずだった。しかし、職員殺害事件後に設置された「愛知学園の処遇のあり方に関する検討委員会」の出した報告書でも「個別処遇の重視」が提言されているにもかかわらず、その後の「愛知学園のあり方に関する検討委員会」でも、個別処遇体制の問題が指摘され、結果として愛知学園事件(職員殺害事件)の教訓は、十分に共有されていなかったことが露呈している。


さらには、翌年には任意同行されている姿を入所者に見せるという「事件」まで起きてしまう。

愛知県立の児童自立支援施設「愛知学園」(同県春日井市)に入所中の中学3年と同2年の男子生徒が、窃盗容疑で県警に任意同行を求められた際、施設側が他の入所者の学習のためとして、同行場面を見せていたことが23日、分かった。神田真秋知事は「子どもたちの心に与える影響を考えると、不適切、軽率な行為だったと思う。正確な状況を把握したい」としている。


時事通信 2007年2月23日


この事件は、冬季帰省中にバイク盗などをした男子入所者の任意同行を他の児童にその様子を見せたというもの。無断外出・無許可交遊等もあり、学園の入所者全体に不満が溜まっていた様子が報告書で述べられている。


私はこの問題の報に接した時、強い違和感を覚え、施設の存在意義そのものに疑念を抱かざるを得なくなった。いくつか本件の問題点を指摘したい。まず、児童福祉法第44条に以下のように書かれている。

児童福祉法 第44条


児童自立支援施設は、不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、又は保護者の下から通わせて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援し、あわせて退所した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする。


本件に係る対応は、個々の児童の状況に応じた必要な指導であり、その自立を真に支援するものだったのかということである。児童福祉法の第47条には、「監護、教育及び懲戒に関し、その児童等の福祉のため必要な措置をとることができる」と明記されているが、本件対応については、真に児童の福祉のための措置として許容される対応であったとは到底言えないと考える。
つまり、本件対応は、無断交遊、帰園を拒否した児童への批判等が他の児童からあがり、個別面接指導を行っても対応しきれない状況に陥った職員側が、不測の事態を回避するために取ったいわば『強権発動』である。しかし、任意同行後、残った児童を集め、事情説明や学園生活について指導をするなど、本件と全く関係のない児童を巻き込んだ集団指導を行っている。個々の児童の状況に応じて必要な指導を行うとした児童福祉法とは相いれない。

また本件対応は、その対応に至るプロセスにおいて、任意同行に応じた入所者の審判結果が出ていない段階であることが考慮されていない。さらには、任意同行に応じた入所者の権利、心情を踏みにじっており、本来、権利擁護を図るべき施設、施設職員がそうした行為を行うことは決して許容できない。率直に言えば、本件対応は見せしめと言わざるを得ず、大人の側の事情により行われたものだ。さらには、入所者と職員との間に距離感を持たせることになるリスクもある。


守るべきこと、育むべきこと、支援すべきことを施設職員らが見定め、対応するためには、処遇における「安全」は確保すべきではある。しかし、その安全と前提となるものは、施設職員と入所している子どもとの信頼関係である。この信頼関係をどう構築するべきなのか、社会的養護の要諦ともいえる課題について、若干論じておきたい。


児童養護施設入所児童等調査(2009年)によれば、指導上の留意している点で、児童自立支援施設については、家族との関係や社会規範を重視する傾向にある(表1)。その傾向は同じ2003年の調査でもそれは変わらない。そもそも、前述の児童養護施設入所児童等調査によれば、平均在所期間は、児童自立支援施設では1、1年(前回2003年調査:1、0年)であり、2年以上在所している入所者は、2008年時点で総数に対して13%である。社会規範を短期集中で、指導することによって、問題行動を是正し、家庭復帰を目指す処遇のあり様が調査からは見て取れる。


しかし、家庭的養護である里親委託については、とりわけ社会規範についての指導における留意点の占める位置はそれほど高くない(9,3%)。家庭的養護である里親委託と児童自立支援施設との社会規範をめぐる指導の位置づけの違いは、入所児童の非行傾向の進み具合等も関係していると思われるが、これほどの違いは、1年ほどで児童自立支援施設を退所する児童にとって戸惑いにつながるのではなかろうか。
留意点の中で心の安定については、里親、児童自立支援施設ともに重視していることから、入所者の心の安定が必要なそして、より困難な援助場面において、何を大切にするか職員が判断する基盤として、より社会規範を重視する傾向が児童自立支援施設にあると考えられる。しかし、社会規範を重視すればするほど、入所者個々の心の安定につなげるのは難しくする可能性がある。


そもそも、何が正しい社会規範なのかということについて、職員間で適切に議論されているだろうか。そして、社会規範を一方的に伝えるだけではなく、社会規範について、具体的に入所している子どもたちと議論する場を持っているだろうか。また実際に社会規範を指導するにあたっては「一般社会」における肌感覚に沿って行っているだろうか。声高に社会規範を叫ぶだけでは、口うるさい人の、ただの古い、自己満足な行動・発言にしか映らない。


「正しい」ことをいう、あるいは振りかざすだけでは子どもたちには通用しない。施設は今まで過ごしていた場とは異なり、大人の強力な管理下の中での生活を強いられる。そんな異常な空間の中での暮らしに対する疑問、不信がどうしても生まれる。
先日、児童自立支援施設出身者の仲間とひさしぶりに食事を共にする機会があり、職員との関係について話が盛り上がった。入所初期が一番不安だったとの声が多かった。また「今までの暮らしとは全く違う中で、その不安に耳を傾けるというより、施設の暮らしにいち早く慣れさせる、思い知らしめることに重点を置かれているのが、丸見えでうんざりした」との声もあった。
自立支援施設の職員と入所者である子どもとの関係性は、どうしても非対称になる。その非対称の重みに耐えかねると、思いもしない逸脱行動、脱出行動にぶつかることになる。集団処遇と個別処遇を駆使し、不器用なサイン、小さなサインを見逃すことのないようにしなくてはならない。そのためには、非対称の関係に職員が常に自覚的である必要がある。そのためには、職員も子どもたちと共に楽しい時間を共有すること、子どもたち同士の楽しい時間、空間づくりを積極的に行うことが必要だ。その積み重ねが、子どもと職員との距離を近づけ、信頼関係構築の一助になると考える。


先日起きた福岡学園での許容範囲を大きく逸脱した「特別指導」の問題。あれもまた、社会規範を第一とした処遇方針が生んだものではないかと推測している。でなければ、そもそも児童の生命、身体にすら危険にしかねない、異常な穴掘りは続行できないはずだ。もし、穴をより深く掘れば、職員に認められる、評価があがると思って続行を申し出たとしたら、由々しき問題だ。報道によれば夏場の異常な深さの穴掘りについて、きつくて嫌だったとの声もあるようだ。単に穴の深さの問題ではない。そのことを福岡県、福岡学園の職員の方々は認識されているのだろうか、新聞報道に接する限りは、その認識はなさそうにお見受けする。


社会規範を重視したい職員側の事情は、「ワク」のある生活と表され、それを擁護する向きもあるようだが、ワクにとらわれ過ぎれば、本質を見過ごしかねない。職員の本分は、ワクを守ることではない。真に子どもの最善の利益のために、子どもの自立を支援することではないか。


余り数は多くない児童自立支援施設の課題に関する文献の多くは、子どもの多様化や指導の困難性を指摘するものばかりだ。児童自立支援施設での暮らしをどう変えるか、そのためにはどうしたらよいか、ずっと考えている。共に考えて動いてくれる仲間もできた。仲間の多くが、その施設の特殊性から、発信することを恐れてきた。それでも勇気のバトンをつなぎながら、動き出そうとしている。自分にできることは、勇気のバトンをつなぐことしかできない。でもつないでくれる仲間がいる限り、全力を尽くすまでだ。



参考文献
愛知学園のあり方に関する検討委員会 『愛知学園のあり方に関する報告書』 2007年
愛知学園の処遇のあり方に関する検討委員会 『愛知学園の処遇のあり方に関する報告書』 2004年
全国児童自立支援施設協議会 『児童福祉施設における非行等児童への支援に関する調査報告書』 2008年