待つ人 ー里親ー

新年度が始まると同時に慌ただしくいろんな仕事の依頼に対応しつつ、講義や学務に追われている。そんなせわしない中、5月の風を感じるのは朝・晩の送り迎えと移動時間。桜の季節があっという間に過ぎ、若葉が太陽と風のハーモニーの中で、輝きを増している。子どもたちも、新年度を迎えたドキドキ感からワクワク感へ気持ちがシフトしているように見える。大学やNPOにもさわやかな新風が吹き込んで、新しい環境で奮闘する姿を見て、こちらも頑張ろうという思いを新たにしている。


さて、新年度に入ってからいくつか人前で話をさせて頂く機会を頂いた。その中の1つ、里親になる人を対象にした研修会。私の経過はかなりレアケースで余り意味がないのではないですか?と最初は固辞したのだけれども、それでもよいとのことで引き受けることにした。


里親になりたいという人の前で余りネガティブな話はしないように、ただ淡々と思いと現状を話すことにした。里親との出会い、里親との暮らしや葛藤、そして大人になってからの思いなどなどをなるべく整理してわかりやすいようにまとめたつもりだったが、意外にその準備作業が大変だった。その当時の記憶は断片的に覚えていることもあれば、そうでないものもあり、過去の同種のスピーチ原稿や資料を漁り、思い出したくない黒歴史も織り込みつつなんとか完成。




私は自身の障害もあって、療育の必要性が重視されたこともあって週末里親が幼少期は多く、施設と里親のもとを行ったり来たりしていた。その後学齢期を少し過ぎてから里親へ委託された。今思い返せば、あれがマッチングだったんだとかこれが「慣らし」かとわかるけど、当時から天邪鬼だった自分は何だそれみたいな感じで自分のことでもどこか俯瞰していたように思う。特に学齢期を過ぎてからの里親委託に関しては、ニセモノの両親なんて要らないとやんわり意思表示していたらしく、児相の職員さんを相当困らせていたようだ。


今だからこそ言えるけど、里親の役割って大切だと思うし、大変だなとも思う。子どもの複雑な思いに寄り添うことがいかに大変か、寄り添いたいと里親が願うほどに、距離を取りたがる子どももいる。様々なやりとりをしながら、距離を縮めて、いい塩梅の距離感ができる。もちろんやりとりの中で距離感が遠くなることも、時には破綻することもあるけど、それは人と人とのつながりであってある意味であり得ることなんだと思う。親になりたいと思っている里親さんは多いとは思うけど、子どもの思いは様々だ。家族がほしいと思っている子どももいれば、居場所がほしいと願っている子どももいるし、施設から出られると喜んでいる子どももいる。そうした様々な思いを抱える子どもと向き合い暮らしていくのだから、相当な忍耐と覚悟がいる。


私の里親は年齢が若くて、余り親という感じがしなかった。(これをいうと、全力で親になろうと思ってたんだよ、と言われるけどw)ただ里親としては必死だったんだろう。医療関係に勤めていた里パパと保育士だった里ママだったけど、距離感をなかなか詰められず悩んだそうだ。自分は全く覚えてないけど、里パパ、里ママに「俺の親になるなんて100年早いんだよ」と言葉をぶつけたときはひどく落ち込んだという。ホンモノの親はどこかにいると信じていたし、何かと絡んでくるのでうっとおしかったんだろうな。




途中いっぱい黒歴史も思い出したくないくらい作ったけど、そんな自分でも待っていてくれた。居場所でありたいといってくれた。その思いが嬉しかったし、自分も次への一歩を踏み出すことができた。里親と施設の間を行ったり来たりする中で、気づいたことは、待っている人、場所があることの大切さだ。


研修会でお話ししたのは、諦めずに待っていてくださいということ。確かに思い通りにならないことも多いし、もどかしく思うこともあるでしょう。


子どもは一歩一歩自分の中にある思いの種を握りしめながら、それを大地にまきつつ、渡してくれるときがくるはず。少しわかりやすくはない例えだけど、子どもが親に直接思いを伝えることだけで、自分の気持ちを表現するわけではない。時に寄り道しながら、いろんな種を蒔いていく。時に自身で回収したりするだろうし、ひっそりと咲くだけでいいと思っているときもある。たまに種だけ親にぶつけてるときもあるが。いつかきっと花が咲き、実をつけ、大地を豊かにする源になる。



里親は「待つ人」なんだな、研修会で話す内容をまとめてみたら、そんな結論になった。