昨日のパパめし~!!

最近ヤサグレモードな自分。超絶眠い中でも、子どもたち、家族には努めて笑顔で接するようにしているが、たまにはひとりのんびりしたい。

さて今日のパパめし。

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☆ポークのシメジのトマト炒めwithチーズ

☆ナスとじゃがいもの味噌炒めwithかぶの葉

☆トマトとキウイのサラダ

なめことおとうふの味噌汁withかぶの葉


珍しく1汁3菜だ(^_^;)
小かぶを買ってきたので、今日はとりあえず葉っぱ、茎の部分をつかってみた。ナスの味噌炒めはちょっとはっきりしない味になってしまった。でもメインのポークはおいしそうに食べてくれてたような。


今日は、夜まで外出のため、つくらないっす。

今日のパパめし~!!

遅い時は20時過ぎる帰宅時間。だいたい朝ごはんつくるときに、夜ごはんの下ごしらえもしちゃう。21時を過ぎることがわかっているときは、レンジでチンできる状態までつくる。。朝の方が集中してつくることができるので、作ると決めたらラク。

で・す・が~~~~~、



今日は下ごしらえすらしなかったので、19時過ぎに急ぎ帰宅して作るのであった。いくら早く帰ったとしても、帰ってから作るのは結構ダルイ。。諦めて外食にしようかとも思ったけど、弟たちや子どもたちにもちょっと手伝ってもらいつつ、1時間ほどかけてつくった。


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☆キーマカレー
 時間がない時によくつくる。大家族な我が家では大量のひき肉、トマトにカレーパウダーなど入れてつくる。意外と手抜きですw

☆チキンとナスの生姜醤油の炒めもん
 ポークでもよかったけど、チキンの方が消費期限が迫ってたのでそっちにした。

☆とうふとなめこのお味噌汁
 我が家の定番お味噌汁。ちなみに我が家は八丁味噌をつかっています。

☆キウイとベビーリーフのヨーグルトサラダ
 最近、息子たちはキウイにはまっているようなのでヨーグルトサラダに。なかなか好評でした♪

ご飯たいている時間で全部終えるのがベスト(と思っている)。だけど、何せ作る量が多いので大変。材料きるだけでもつかれるのだよね。今日のナスとかとうふとかキウイとか!!もう家事というかエクササイズとか修行レベルw



明日は手抜きメシにしよ~っと。

あっという間にSeptember

夏休み期間に入った大学。学生さんは夏休み。教員は研究やら採点やら。福祉系の学生さんは実習をしている人もいるだろう。ということで、この時期は教員にとっては休みではないという現実。かたや、パパとして子どもたちにはいろんな体験させてやりたいという思いもある。完全に板ばさみ。

仕事の合間を縫って、いろんなところにお出かけする時間を作っているので、正直自分の休み時間がない。贅沢言うなという話なのかもしれないけど、いろんなことで手いっぱいになると、にっちもさっちも行かなくなる。自分自身がかんぴんたんになってしまう。。


気分転換、9月はその時間をぜひとりたいな。


さて、社会福祉士の相談援助実習の巡回指導も入っていて、正直てんやわんやなのだけれど、なるべく時間をとって、学生さんの思いに耳を傾ける。傾けるだけでなく、引き出して、溢れ出すくらいまでいかないといけないなと思っているが、、、どう指導し、支え、見守ればよいか、私自身も悩む。施設の担当の職員さんたちともコミュニケーションを図りつつ、こちらもある意味で勉強だ。

まだまだ新米、がんばろう。

バタバタと始まる8月

7月下旬から大学は試験期間。それとともにレポートの採点、試験の採点などが一斉にスタートする。ある意味修行のような日々が続くことになる。そして一方では、卒論指導も本格化し、面談をしつつ、夏休みに向けての課題などを学生さんたちに提起しなくてはならず、まるで追い立てられるのは自分のようになってしまい、何だか騒がしくなる日々でもある。

そして今年は、そうした忙しい時期にNPOの通常総会を開くという日程になっており、5月下旬からずっとその準備でいろいろ時間を投資。ここ数年は、学生スタッフさんや若いスタッフの皆さんを中心に総会の中身を練ってもらっているので、その議論の輪に参加しながら、自分も勉強。
単に自分たちの活動を発信するだけでなく、真に会員の皆さんの忌憚ないご意見を伺い、交流する場としてどう形作るか、言葉にするのはラクだが、実際はそう順調ではなかった。何度もメインテーマがオジャンになったことも。。

お盆の時季から、北海道&愛知、三重に行くことになっており、学務なんてできるのは、8月下旬。そして下旬にはお引越しなども控えているのである。今年の夏は忙しくなりそうだ。

療育って何のためにあるんだろうか。〜変えることを恐れずに〜

おいしいケーキを食べたいと言っている息子たち。おいしい基準がわからないので、ちょっと放っておいたら、、ケーキ食いたいの大合唱が始まったので、どこか連れて行かなきゃな。友達と食べたケーキおいしかったけど、ここのは口に合うのだろうか。
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最近、facebookを見ていると大学時代の友人たち、とりわけエンター団の皆さんの楽しそうな姿を拝見して、みんな元気だなとちょっとうらやましく感じる。大学を卒業しても、絡みがあるというのは、実はとてもよいことなのだなと思う。
しかし、大学時代の友人に限って言うと、エンダ―団・オリタ―団の人(特に執行部メンバー&とっても愉快な仲間たち)は結構facebookやっているイメージあるんだけど、それ以外の人はあんまりfacebookやっていない感じがする。そういえば、アルペンスキーのみんなや、エンダ―団に特に絡みのない友人たちとは、メールか電話か強いて言うならLINEかな。さてこの温度差は何でだろう??気にするのが野暮ってもんか。

何となく気持ちの整理がついたところで、いや全然ついていないのだけれども、最近かなり気になっていることを書いておきたい。

それは、ずばり「療育って結局何のためにあるの?」ということである。またでかい疑問ぶち上げたなと思ってらっしゃる方もいるだろうな。でかい疑問というより素朴な疑問なのです、これ。そして結構切実な問題も絡んでいるのです、と前もって主張しておく。

幼少期、小学校と特殊教育と肢体不自由児施設(現:医療型障害児入所施設、福祉型障害児入所施設)と里親の下で暮らし、中学・高校とやんちゃをしまくり、児童自立支援施設にぶちこまれた経験のある自分が言ってもいいのか悩むのだけど、「療育」はあくまでも子ども期専用のものだということ。
療育って、ファミコン&TDLと同世代の自分には、家庭での生活を無理矢理子どもに放棄させ、訓練を通じて、障害を克服ないしは軽減させる取り組みというイメージが強い。ちょっと刺激的な書き方だけど、実際そう感じた。施設で暮らした時に、毎夏やっている24時間テレビに出たことがあるんだけど、その時も、親元を離れて頑張っている子どもたち(+支える大学生ボランティア)というイメージで拡散されていた。さすがに最近は週末は家で過ごせるようになったり、持てるおもちゃの制限もゆるくなっていたり、変わりつつあるのだけれど。

療育の現場である施設では、施設卒業後の暮らしを視野に様々な取り組みがなされていた。将来の通学に備えて、「屋外登校」や、お金の使い方を学ぶ「おやつ購入」、ハマ付き自転車に乗る練習とか、蝶々結びの練習とか、いろいろやった。一番社会に出て役に立ったのは、蝶々結びの練習かな。何を隠そう子どものころは全くできなかった。これ、ほんとマジです。習得するのに半年、人並みのスピードで結べるようになるのにまた半年。おかげで、紐靴を躊躇なく選ぶことができるようになり、オシャンティーな生活を送れています。練習に付き合ってくれた前田先生、村田先生、(両方とも看護師さん)元気にしてるかな。施設にいると、どうしてもできないことが多い、結局地域に出て、地域の学校に戻った時、同級生の会話についていけないことがしばしば。ゲームボーイは2,3か月に1回の面会日のみ。新しいおもちゃに交換できるのもそのタイミング。どう考えても世の中の流れからは置いてかれる。私が里親のところに戻るのをかたくなに拒否したのも、実は卒業後の学校生活に不安を感じたというのが、一番の理由なのかなと今振り返ると、そう思う。

地域での暮らしに不安はあったけど、当時の仲間は前向きだった。同世代の男子3人の間で、その地域の私立中学に3人で合格しようなんていう約束があった。結局自分は寮のある学校に行ったのだけど。自分たちの間でも、養護学校(現:特別支援学校)は温室育ちというイメージがあって、ちょっと将来に不安を感じていた。親の影響が結構あるのだろうと推測される。自分の場合は2人に流されて勢いで約束しただけだけど・・・。

話が横道に・・・、戻そう。子どもの時に感じる将来の不安は、目に見えるハードルをどうクリアするかというものが中心のように思う。子ども期は確かにハードルが多い。試験やら部活やら、受験に就職。ある意味、目標はたてやすい環境にあるといえるのかもしれない。もっとのんびりしたいのが本音ではあったが。

で、いざ大人になってしまうと、健康管理が気になる。なぜ気になるかと言えば、大人になって仕事をし、がんばって税金を納める。職場でいろんな問題に巻き込まれたり、あるいは家事にドタバタしたりで、非常に余裕がない生活になる。そうすると体のメンテナンスをする時間がなくなる。時には、頑張りすぎて体にがんばってもらうこともある。
体を酷使し続けると、2次障害というものに出会ってしまう。訓練からもかなり解放されて、落ち着いていた日々だったのに、やっぱり自分って障害者なんだなとショックを受ける。何がどうショックなのかって、何も凹凸のないところで転倒する、肩、首や腰が痛い。疲労が溜まりやすくなる、悪化すると仕事や日常生活に多大な影響が出るレベルになる、などなど。
よく考えれば、当たり前のことなのだけど障害によって、健常者よりも身体的機能が劣る中で、健常者が何気なくできていることを、幼少期の訓練等で代替できるまでにがんばる。がんばれるようになったので、社会の中で頑張って働いたり勉強したりする。がんばるってことは、体にがんばれ〜と言い聞かせながら、動かしているわけで、無理が重ねれば体が悲鳴を上げるのも無理はないことだ。

で、子ども期の訓練で、青年期に出遭うであろう2次障害について何か教えてくれたかなと振り返っても、そんな記憶はない。がんばる土壌を作ってくれたのは確かに幼少期の療育だ。いろんな先生の献身的なサポートで、蝶々結びができるようになって今がある。ちょっと言い過ぎたか。確かに青年期の入り口に立つためのレベルアップは、相当療育でなされたのは確かだけれども、青年期以降の体のケアをどうするの?ということについては、その体制整備も全くなされていない。
未来ある子どもたちに、2次障害なんて言って不安にさせるのはよくないという配慮もあるのかもしれないけど、2次障害は悪化しすぎると、日常生活に支障を来す。NEWSやゆずのライブに行きたいなどと言っていられない状況になってしまうわけで、そんなの冗談じゃないぜ。

最近、自分も体のメンテナンスが足りてないな、腰痛も重くなってきたし、一度病院に行かなきゃとここ数年探しまくっていた。
なぜ探しまくったかというと、2次障害に精通したお医者さんってどこにいるの?リハビリしてくれるところはどこ?といった疑問を解く鍵はネットには全く落ちてなかった。有名どころの病院はあるんだけど、通える距離でもない。大学病院なら、誰かいるだろうと思っても診察日に専門の人にあたるとも限らない。ほんと、ないわ〜。大都会東京に移って激しく後悔した自分。なぜかと言えば、地元であれば施設にいって、ケアしてもらえる。完全ホームじゃなくても、近場なら紹介状書いてもらうのもラク。

そうなると、痛みをやり過ごしながらがんばる。これ、ほんとやりすぎると、体に怒られます。おい仕事休めよ!!もうしらねーよって言ってきます。この体の言い分聞いてあげないと、大変なことになる。施設時代に、やんちゃなPT(理学療法士)がいて、その先生が2次障害について、追跡調査をされていたので、2次障害という言葉も意味も知っていたので、早めに対処できた。

療育は成長する子どもを様々な面から支える総体的取り組みだ。子どもの発達を促すことがメインだけれども、最終的には、障害があっても楽しい暮らしを送れるようにという、どっちかという大人目線の概念、取り組みになっている。子ども目線に立った時、あるいは当事者目線に立った時、療育とはどうあるべきか、という視点での議論が決定的に欠けているのではないか。
青年期以降も見据えた福祉制度、教育、地域生活、医療体制、様々な社会資源の配置などなど、支援のあり方そのものを見直す必要があるのではないか。何をどうすればいいのかというのはなかなか組み立てられないのだけど、まずは青年期を迎えた人たちの現状をかき集めること、高校生、大学生等の障害のある若者の声を聴くことが必要だろう。
とりわけ後者は重要だ。今までは当事者の語りと言っても、おっちゃんおばちゃんが中心だった。有名どころだと青い芝の会。なかなか若い世代の声が聞こえてこない。現状を耐えることも大事だけど、変えて行くこともしないと、暮らしは豊かにならない。声を上げないと世の中気づかないよ。これは先人たちががんばった闘争ともいえる障害者運動の歴史でも十分すぎるほど、証明されている。
療育の概念は健常者側から出てきたものだ。一定の役割は果たしたのかもしれない。でも絶対じゃない。まずは療育から変えたい、そう思っている。本当に今のままでよいのか。子どもたちが子どもらしい生活を送れるにはどうしたらいいのか、もっと子ども目線で考えてもいいのではないか。もし療育がその壁になっていたり、あるいは大人になった後の不安を拭い去る力になれていないのなら、変えて行くことを遠慮していてはあかん。

もっとやれし、自分。そんなことを思いつつ、今日はここまで。

療育って何のためにあるんだろうか。~変えることを恐れずに~

おいしいケーキを食べたいと言っている息子たち。おいしい基準がわからないので、ちょっと放っておいたら、、ケーキ食いたいの大合唱が始まったので、どこか連れて行かなきゃな。友達と食べたケーキおいしかったけど、ここのは口に合うのだろうか。
f:id:itattz:20130428142333j:plain


最近、facebookを見ていると大学時代の友人たち、とりわけエンター団の皆さんの楽しそうな姿を拝見して、みんな元気だなとちょっとうらやましく感じる。大学を卒業しても、絡みがあるというのは、実はとてもよいことなのだなと思う。
しかし、大学時代の友人に限って言うと、エンダ―団・オリタ―団の人(特に執行部メンバー&とっても愉快な仲間たち)は結構facebookやっているイメージあるんだけど、それ以外の人はあんまりfacebookやっていない感じがする。そういえば、アルペンスキーのみんなや、エンダ―団に特に絡みのない友人たちとは、メールか電話か強いて言うならLINEかな。さてこの温度差は何でだろう??気にするのが野暮ってもんか。

何となく気持ちの整理がついたところで、いや全然ついていないのだけれども、最近かなり気になっていることを書いておきたい。

それは、ずばり「療育って結局何のためにあるの?」ということである。またでかい疑問ぶち上げたなと思ってらっしゃる方もいるだろうな。でかい疑問というより素朴な疑問なのです、これ。そして結構切実な問題も絡んでいるのです、と前もって主張しておく。

幼少期、小学校と特殊教育と肢体不自由児施設(現:医療型障害児入所施設、福祉型障害児入所施設)と里親の下で暮らし、中学・高校とやんちゃをしまくり、児童自立支援施設にぶちこまれた経験のある自分が言ってもいいのか悩むのだけど、「療育」はあくまでも子ども期専用のものだということ。
療育って、ファミコン&TDLと同世代の自分には、家庭での生活を無理矢理子どもに放棄させ、訓練を通じて、障害を克服ないしは軽減させる取り組みというイメージが強い。ちょっと刺激的な書き方だけど、実際そう感じた。施設で暮らした時に、毎夏やっている24時間テレビに出たことがあるんだけど、その時も、親元を離れて頑張っている子どもたち(+支える大学生ボランティア)というイメージで拡散されていた。さすがに最近は週末は家で過ごせるようになったり、持てるおもちゃの制限もゆるくなっていたり、変わりつつあるのだけれど。

療育の現場である施設では、施設卒業後の暮らしを視野に様々な取り組みがなされていた。将来の通学に備えて、「屋外登校」や、お金の使い方を学ぶ「おやつ購入」、ハマ付き自転車に乗る練習とか、蝶々結びの練習とか、いろいろやった。一番社会に出て役に立ったのは、蝶々結びの練習かな。何を隠そう子どものころは全くできなかった。これ、ほんとマジです。習得するのに半年、人並みのスピードで結べるようになるのにまた半年。おかげで、紐靴を躊躇なく選ぶことができるようになり、オシャンティーな生活を送れています。練習に付き合ってくれた前田先生、村田先生、(両方とも看護師さん)元気にしてるかな。施設にいると、どうしてもできないことが多い、結局地域に出て、地域の学校に戻った時、同級生の会話についていけないことがしばしば。ゲームボーイは2,3か月に1回の面会日のみ。新しいおもちゃに交換できるのもそのタイミング。どう考えても世の中の流れからは置いてかれる。私が里親のところに戻るのをかたくなに拒否したのも、実は卒業後の学校生活に不安を感じたというのが、一番の理由なのかなと今振り返ると、そう思う。

地域での暮らしに不安はあったけど、当時の仲間は前向きだった。同世代の男子3人の間で、その地域の私立中学に3人で合格しようなんていう約束があった。結局自分は寮のある学校に行ったのだけど。自分たちの間でも、養護学校(現:特別支援学校)は温室育ちというイメージがあって、ちょっと将来に不安を感じていた。親の影響が結構あるのだろうと推測される。自分の場合は2人に流されて勢いで約束しただけだけど・・・。

話が横道に・・・、戻そう。子どもの時に感じる将来の不安は、目に見えるハードルをどうクリアするかというものが中心のように思う。子ども期は確かにハードルが多い。試験やら部活やら、受験に就職。ある意味、目標はたてやすい環境にあるといえるのかもしれない。もっとのんびりしたいのが本音ではあったが。

で、いざ大人になってしまうと、健康管理が気になる。なぜ気になるかと言えば、大人になって仕事をし、がんばって税金を納める。職場でいろんな問題に巻き込まれたり、あるいは家事にドタバタしたりで、非常に余裕がない生活になる。そうすると体のメンテナンスをする時間がなくなる。時には、頑張りすぎて体にがんばってもらうこともある。
体を酷使し続けると、2次障害というものに出会ってしまう。訓練からもかなり解放されて、落ち着いていた日々だったのに、やっぱり自分って障害者なんだなとショックを受ける。何がどうショックなのかって、何も凹凸のないところで転倒する、肩、首や腰が痛い。疲労が溜まりやすくなる、悪化すると仕事や日常生活に多大な影響が出るレベルになる、などなど。
よく考えれば、当たり前のことなのだけど障害によって、健常者よりも身体的機能が劣る中で、健常者が何気なくできていることを、幼少期の訓練等で代替できるまでにがんばる。がんばれるようになったので、社会の中で頑張って働いたり勉強したりする。がんばるってことは、体にがんばれ~と言い聞かせながら、動かしているわけで、無理が重ねれば体が悲鳴を上げるのも無理はないことだ。

で、子ども期の訓練で、青年期に出遭うであろう2次障害について何か教えてくれたかなと振り返っても、そんな記憶はない。がんばる土壌を作ってくれたのは確かに幼少期の療育だ。いろんな先生の献身的なサポートで、蝶々結びができるようになって今がある。ちょっと言い過ぎたか。確かに青年期の入り口に立つためのレベルアップは、相当療育でなされたのは確かだけれども、青年期以降の体のケアをどうするの?ということについては、その体制整備も全くなされていない。
未来ある子どもたちに、2次障害なんて言って不安にさせるのはよくないという配慮もあるのかもしれないけど、2次障害は悪化しすぎると、日常生活に支障を来す。NEWSやゆずのライブに行きたいなどと言っていられない状況になってしまうわけで、そんなの冗談じゃないぜ。

最近、自分も体のメンテナンスが足りてないな、腰痛も重くなってきたし、一度病院に行かなきゃとここ数年探しまくっていた。
なぜ探しまくったかというと、2次障害に精通したお医者さんってどこにいるの?リハビリしてくれるところはどこ?といった疑問を解く鍵はネットには全く落ちてなかった。有名どころの病院はあるんだけど、通える距離でもない。大学病院なら、誰かいるだろうと思っても診察日に専門の人にあたるとも限らない。ほんと、ないわ~。大都会東京に移って激しく後悔した自分。なぜかと言えば、地元であれば施設にいって、ケアしてもらえる。完全ホームじゃなくても、近場なら紹介状書いてもらうのもラク。

そうなると、痛みをやり過ごしながらがんばる。これ、ほんとやりすぎると、体に怒られます。おい仕事休めよ!!もうしらねーよって言ってきます。この体の言い分聞いてあげないと、大変なことになる。施設時代に、やんちゃなPT(理学療法士)がいて、その先生が2次障害について、追跡調査をされていたので、2次障害という言葉も意味も知っていたので、早めに対処できた。

療育は成長する子どもを様々な面から支える総体的取り組みだ。子どもの発達を促すことがメインだけれども、最終的には、障害があっても楽しい暮らしを送れるようにという、どっちかという大人目線の概念、取り組みになっている。子ども目線に立った時、あるいは当事者目線に立った時、療育とはどうあるべきか、という視点での議論が決定的に欠けているのではないか。
青年期以降も見据えた福祉制度、教育、地域生活、医療体制、様々な社会資源の配置などなど、支援のあり方そのものを見直す必要があるのではないか。何をどうすればいいのかというのはなかなか組み立てられないのだけど、まずは青年期を迎えた人たちの現状をかき集めること、高校生、大学生等の障害のある若者の声を聴くことが必要だろう。
とりわけ後者は重要だ。今までは当事者の語りと言っても、おっちゃんおばちゃんが中心だった。有名どころだと青い芝の会。なかなか若い世代の声が聞こえてこない。現状を耐えることも大事だけど、変えて行くこともしないと、暮らしは豊かにならない。声を上げないと世の中気づかないよ。これは先人たちががんばった闘争ともいえる障害者運動の歴史でも十分すぎるほど、証明されている。
療育の概念は健常者側から出てきたものだ。一定の役割は果たしたのかもしれない。でも絶対じゃない。まずは療育から変えたい、そう思っている。本当に今のままでよいのか。子どもたちが子どもらしい生活を送れるにはどうしたらいいのか、もっと子ども目線で考えてもいいのではないか。もし療育がその壁になっていたり、あるいは大人になった後の不安を拭い去る力になれていないのなら、変えて行くことを遠慮していてはあかん。

もっとやれし、自分。そんなことを思いつつ、今日はここまで。

施設養護における自分らしさ

昨日は、友人と新宿でお食事・飲み会。8人でプチ男子会みたいな感じで楽しかった。みんな自立支援施設に入所経験がある。加えて、みんな自立援助ホーム、里親、養護施設、それに少年院など様々な施設や制度の下で子ども期を終え、大人になっている。なかなかコアすぎるメンバーだけれども、やっぱり落ち着く。落ち着きすぎて、楽しすぎて、飲み過ぎて、騒ぎ過ぎた。(ごめん、息子たち。)

児童自立支援施設はどうあるべきか。研究者としての原点ともいえる問いだ。その問い、2つ具体的に書くとするなら、1つは、子ども期を豊かに暮らすことができるようにするために、児童自立支援施設が果たすべき真の役割や実践は何か。もう1つは、入所する若者がいずれ迎える「旅立ち」とその後の旅路をどう見守り、支えていくか、ということだ。

このチャレンジングな研究テーマに取り組む私を応援し、支えてくれる7人の仲間。本当にいろんなことを教えてもらっている。やはり、仲間がいてくれるというのは、何にも代えがたい勇気と安心感をもたらしてくれる。

そんな安心感のせいもあって、すっかり朝方近くになってしまい帰宅。その後仮眠をとって、家事をしつつお出かけの準備をして、子どもたちをサマープログラムへ連れて行き、自分自身は、半蔵門で行われた講演会へ。谷口由希子さん(名古屋市立大学准教授)が受賞された、第14回損保ジャパン記念財団賞の受賞記念講演会である。

当日は、本務校のゼミ生、そして非常勤で教えている保育実習ゼミの学生さんも足を運んでいた。ホテルのレストランでカレーを食べているところとか、会場で麦茶を飲んでいるところを目撃、ツッコまれ、今後開かれるであろう飲み会で追及されるのは必至な情勢になってしまった。(カレーは結構おいしかったですよ。)

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さて、講演会とシンポジウム。一言で言うと、大変興味深く勉強させて頂いたということになるのだけど。それだけでは余りにシンプルすぎるので、自分なりに、思うところを書いてみたい。
谷口由希子さんのご著書「児童養護施設の子どもたちの生活過程−子どもたちはなぜ排除状態から脱け出せないのか」では、施設入所から、施設での生活、そして施設退所という其々の過程について、子どもの内面に丁寧に寄り添いながら、その実像に迫っている。特に、「包摂」ではなく「脱出」という鍵概念を用いて、子どもの生活を再建しうる要因を指摘している。

講演を聞きながら、いろいろ考えたのだけれども、正直完全には消化しきれていない部分もある。とはいえ、1つ、掘り下げたいと思うことがある。施設における所謂「自分らしさ」や「子どもらしさ」といったものをどのように保障していくかということだ。施設で暮らす経験そのものは、多くの若者にとって余りないものだろう。そして、施設の閉鎖性がその経験を強化し、入所する子どもの施設への同化を後押しする。
しかし、それは子ども同士の関係が良好に形成されるということを保障する要素とは言えない。むしろ、子ども同士の育ちあいという言葉とは矛盾する事態もまた、施設生活では起きる。むしろ集団で暮らすことにより、問題が複雑化したり、事態が悪化したりすることすらある。
当然、職員は子ども同士の関係性の揺らぎに目を配りつつ、子どもたちのケアにあたることになる。ケアの過程で、関係性の揺らぎのリスクを増やさないということを考えると、思い切った個別的処遇を行うことについては、十分な配慮を必要とすることになる。とはいえ、本来施設での暮らしは、子どもが子どもらしく暮らすことが保障されなければならない場である。職員は、相矛盾するような命題に向き合いながら、子ども自身もまたその矛盾に直面しつつ暮らすことになる。

職員は、子どもたちにとってどんな存在であるべきなのだろうか。福祉制度の中で、子どもたちは、支えられる存在として認識される。言い換えると子どもは、未成熟な存在として認知されるということである。子どものサイン、行動は、未成熟なあるいは特有の行動と映る。それは時として、子どもに課題(入所理由や背景)の原因を認識するよう迫ることになりかねない。確かに援助者たる職員にとっては、子どもが課題を認識し、「問題」行動が緩和されれば、援助としては正しい方向性と言える。
その一方で、子どもに半ば強制的、非対称性が際立つ職員との関係の中で課題を認識させることは、子ども自身の思いは置き去り、否定される可能性が高い。子ども期を子どものペースで、子どものスタイルで過ごすことができない。思いを吐露することもできない、これは、ある意味で子どもが子ども自身の存在を否定しかねない、自己への悲しみや怒りを増すリスクになりかねない。つまり、自分らしさを過剰に抑えたり、否定したりすることになる。さらに、自分らしさの否定は、施設後の生活も壁となって立ちはだかる。

「自分らしさ」を形成するうえで、暮らしや問題に対する向き合い方を、子ども自身で自由に変更できるようにすることはとても大切なことだと考える。そのために職員には、子どもの状況、発達段階に応じた、難易度の提示やほっとかない見守りが求められる。どうすれば問題を解決できるのかということを、子どもが失敗しつつも学ぶことができる環境を子どもと一緒に、作っていくことが求められる。子どもの自分らしさをつくるのは、職員ではない、子ども自身だ。


本当はもっと考えたいこともあるのだけど、それはまたの機会に。