福祉の実習って何のためにするのだろうか。

最近夢ばかり見ている。それもややほろ苦い思い出がリンクした夢。せめて、夢の終わりに次回予告ぐらい流してほしいものだ。


夢のすべてが、施設、里子時代の自分のダメっぷりを模したものだった。夢が終わった後、ほろ苦い気分になった頭を整理すべく、いろいろ思考回路を起動していくうちに、またほろ苦い気分に襲われる。こんなことが連日続いてはたまったものではない。なぜ、こんな夢ばかり見ているのかはよくわからない。ただ、保育士、社会福祉士共に講義が始まり、実習に向けたもろもろの仕事も増える。そうしたことが心の中を支配しているからかもしれない。

今日は、社会的養護(特に児童養護施設、肢体不自由児施設や児童自立支援施設)の現場の実態も踏まえ、私が考える実習のポイントのようなものについて、考えてみたい。


保育士や社会福祉士の実習に挑む人で、最初にそして一番苦戦するのが「記録」だろう。事前指導時の実習計画、実習中の実習日誌、実習後の実習報告書。大きく言ってこの3つの記録がある。特に具体的な実習先のイメージがない段階での実習計画作成は、非常に書くのに苦労することになる。
もちろん、実習の事前指導の段階で、一般的な施設の役割や特徴などについて学ぶのだけれども、あくまでそれは一般論である。実習から帰ってきた学生さんの書いた実習報告書を見ると、同種の施設でも、施設によって全く雰囲気が異なることがよくわかる。

実習でいったい何を学ぶのだろうか。実習の記録もそこを明確にするためにある。実習で学ぶことを明確にせよ!と言われても・・・と困ってしまう学生さんは、本当に多い。何ができるか、何をするのかわからないというのは、やはり施設での生活体験がないことに起因する部分も多いのではないだろうか。
施設種別によってやや状況が異なるので、それぞれの施設で実習生はどういう存在だったのかというのを、私個人の経験だが、紹介したい。まず、児童自立支援施設。規律を重んじる日課が流れる中で、比較的年の近い実習生が来ることは、ふとした清涼剤になる可能性もあるが、私は、生活をあまり見られたくはなかった。まして、勉強のために実習に来る、実験台にするなとすら思っていた。ただ、規律正しい生活の中で、同じ空間を共有できたと感じた時は、距離も縮まったように感じた。
もう1つ、児童養護施設。こちらは、夏場、家に帰れない子どもたちも非常に多い中で、主にそうした子どもたちと宿題や各種行事をこなしていくというが、実習中の主な時間の流れだ。実習生は、年齢の若い子どもたちにとって格好の遊び相手である。一方で思春期を迎えた子どもたち、あるいは何らかのトラウマなど問題を抱えている子どもにとっては、実習生はちょっと近寄ってほしくない存在でもある。
そして、肢体不自由児施設。私が暮らしていた時期は、この種の施設では、軽度の障害の子どもたちも多かった。私が暮らした施設は、当時は、療育至上主義とも思えるほど、自宅に帰ることも、外出することも非常に困難だった。家に帰れるのは、長期休暇の時、面会日は、月1回あればいいほう。
そのせいなのか、実習生=遊び相手というのが決まった相場だった。多い時では、総勢50人ほどいた入所者の年齢構成は幅広く、就学前の子どもから高校3年まで。当然「外界」との交流はないので、遊び相手は決まっていた。そんな中、夏休みに来てくれる医学生理学療法士、保育士(当時は保父・保母)の学生さんが来てくれることは、非常に楽しみだった。もちろん、年齢の高い利用者は、遊び相手とまでは思っていなかっただろうけど。

遊び相手だったり、あまり視野に入れたくない存在だったりいろいろだけれども、実習生という存在は、何かしら子どもたちに波紋を及ぼす存在であることは確かだ。
施設で働いている職員さん、子どもたち目線で見ると、人気のある職員さん、ちょっと怖いしあまりかかわりたくない職員さんなどなど、実に様々な方がいる。職員さんによって、コミュニケーションの取り方やスキルに違いがあるのは、どんな施設においてもいえること。

ということもあって、実習の前に対象者や施設について知ることももちろん大事なのだけれども、「自分自身」について知ることが、実習をするうえでとても重要な要素だと私は考えている。だからといって、子どもたちに表面的に人気がある職員になってくださいと言っているのではない。
何を知るのだろうか。まず自分が何をしている時が楽しくて、何をしているときが辛いのか。自らのライフヒストリーを振り返り、そうした感情が湧き上がってきた状況を捉えなおしてみる。例えば、自分はサッカーをしているときが楽しいと感じていれば、子どもたちと一緒にスポーツをすることで、子どもたちとの距離が縮まり、より深度ある観察ができるだろう。
自分の強み・弱みを適切に把握することが、コミュニケーションを図る重要な基盤になる。実習をする前の不安で、一番聞かれるのは利用者さんや職員さんとコミュニケーションを図ることができるだろうか、ということだ。福祉の現場は、その問題の深刻さに比して、職員の数は少ない。また異なる職場の人たち、様々な人たちとの連携も必要な仕事である。様々なコミュニケーションが求められる中で、自分自身を知ることが、円滑なコミュニケーションを行うにあたって、どうすれば適切なアプローチになりうるのかということのヒントにつながる。

社会福祉の用語で、自己覚知という言葉がある。ざっくりいうと、自己を客観的に理解し、適切な自己の理解を図ることである。福祉の現場では、先に述べたように、いろいろな個性を持った人がいる。価値観もバラバラ、事象に対する感情の温度差、表出の違いもある。それは利用者さんも援助者にも言えることだ。しかし援助するにあたって、自己の価値観や感情が援助の妨げになることは望ましくないのも事実だ。
自己覚知するには、いろいろな人との意見交換、アドバイスが有益である。そういう意味で、実習教育には、演習時間が豊富にあるのでそれを十分に活用できればいいなと常日頃思っている。(現実問題としては、なかなか難しい面もある。)

ともすれば、実習に行くとなると相手や施設のことを理解しようと、力が入ってしまう。でも、多くの学生さんにとって、施設で働くという経験は初めてのことだろう。戸惑うことが多いのも当然だ。その戸惑いについて、適切な距離感をもって分析してみる。なぜ自分は戸惑ったのかを考えてみる、それも実習での大切な学びの1つだと私は考える。もちろん、自分が笑顔になった瞬間、ほっとした瞬間についても、考えてみることも大事だ。

夏に実習が本格化するところも多い。暑い中での実習は大変だと思うけど、ぜひ実りある実習にしてほしい。