「認定」社会福祉士制度への批判的検討

昨日の夜、NPOのスタッフのみんなと自宅でミーティングをしたときに、標記の件について話題に上ったので少し書き記してみたい。私の以前のブログをお読みになっている方なら、ご存知だろう。私はこの制度については、反対の立場である。わざわざ資格に階層や格差をつけることに、何らの意味をなさないからである。それどころか、既存の社会福祉士の人たちの「質」そのものを逆に懐疑的にさせてしまう可能性が極めて高いと考えているからである。

まず、認定社会福祉士制度が検討された背景について、おさらいしておきたい。大きなきっかけとなったのは、2007年の社会福祉士及び介護福祉士法の改正の際の付帯決議である。決議の要諦は、専門的知識及び技能をもった社会福祉士の認定制度の早急な検討をせよ、ということである。
その決議を受け、日本社会福祉士会などの職能団体が、制度検討を翌年2008年から始めることとなった。厚生労働省などとも協議を重ね、2011年に認定社会福祉士認証・認定機構がつくられることとなった。社会福祉士の上位資格の設置検討の動きは、2006年に社会保障審議会福祉部会で、「専門社会福祉士」の認定などを職能団体が行うよう、報告書の中にも盛り込まれており、具体的な検討開始から、5年ほどで機構の設置となった。

機構側は、社会福祉士の国家試験合格は、スタートラインであり実践力を証明したものではないと、主張している。そこで研修・認定制度をつくったのですよ、と主張を展開している。

ところで、機構の出している資料によれば、認定に当たっては職能団体への加入を求めている。やや古い資料になってしまうが、2007年では、日本社会福祉士会への加盟率は、29.3%が全国平均であり、山形県の49,1%、愛知県の19,4%がそれぞれ最高と最低の加盟率である。加盟率の低さは、発足当初からの課題であり、今回の認定制度はこの問題に終止符を打つことになるかもしれない。また研修にかかる費用も当然発生するだろうし、加盟率の上昇は年会費の増収にもつながるだろうから、職能団体にとっては、非常にメリットが大きい。

認定社会福祉士制度は、目指すもの、目的は何だろうか。それがよくわからないのが問題の1つだ。利用者の抱える問題が複雑化し、より高度な技能・経験が必要になったのだろうか。それとも、名称独占からの脱却、つまりは業務独占への一里塚なのだろうか。
そもそも、社会福祉士は国家資格である。その上位資格ともいえる認定社会福祉士などを創設すれば、国家資格そのものへの信頼をゆるがしかねないのではないか。もし、地域における福祉ニーズが増大し多様化したのであれば、国家資格制度そのものの制度設計の見直しを行うのが筋だ。
日本における社会福祉士養成教育は、社会福祉及び介護福祉士法により、厳密にカリキュラムが組まれている。先の制度改正で演習・実習の大幅な拡充が図られるなどしており、教育現場もその対応に追われた。基本的にそのカリキュラムに相当する科目を「要卒単位」に組み込むことがほとんどの状態である学校が多い。社会福祉士の関連科目の単位をゲットすることに重きが置かれ、カリキュラムの単位上もあるいは科目の内容の上でも、かなりの量を社会福祉士関連に割かざるを得ず、大学教育の多様さ、深い学びの障害にすらなりはじめている。つまり、地域における福祉ニーズの多様化の断片を、大学教育の中で取り込んでいくには、そろそろ限界にきているのではないかと、私は考えている。

全国各地に福祉士の養成課程を持つ大学がある状況の中で、社会福祉士の存在価値が今もって尚問われているとすれば、それは、上位資格をつくることで対応するのではなく、大学教育の意味そのものと社会福祉士養成の意味との距離感を問い直すことから始めなくてはならない。

もう1つ、疑問が残る。なぜ付帯決議に乗っかり業務独占化への運動を展開することを放棄したのかということである。わかりやすく言えば、社会福祉士の活躍の場を確立していくための地道な活動を低下させかねないのではないかという懸念である。近年、社会福祉士の活躍の場が少しずつ増えてきたとはいえ、まだまだ、その認知度は十分でなく、社会福祉士としての活動が十分にできていないという思いを抱えている方も少なくない。
社会福祉士・保育士の養成に携わる私としても、じくじたる思いがある。ソーシャルワーカーって何?ソーシャルワーカーがこれだけいて、生活保護の問題が日々深刻さを増しているってどういうこと?昨日のミーティングで話題になったのはそこである。
そこで、問われるのは前述した「実践力」である。機構側の言う実践力とは一体何か、ここもよくわからない。社会福祉士自体がソーシャルワークの専門家・プロフェッショナルであることの証明ではないのか。私は、保育士養成にも携わっているが、保育士も「実践力」を保障する、担保するような資格はない。保育のプロフェッショナルになったはずなのに、私は実践力ありません、なんていう人に安心して子どもを預けるだろうか。

大学教育における「資格重視」が拡大する中にあって、本当に卒業した人が働きたいと思えるような活動を大学として展開することができていないのではないだろうか。その結果が、就職者のうちの3割ほどしか福祉分野に就職しないということになっているのではないだろうか。もちろん、福祉マインドや社会福祉士としての知見を他分野で生かしたいという学生が多いというわけではないことは言うまでもない。福祉分野の多くが12月ごろが就職活動のピークであり、一般企業とはずいぶん活動時期が違うことを考慮しても、大学の「職業大学」としての実態と結果が余りにかい離しすぎている。

今回の認定制度、研修は30単位あり、教育機関での研修も想定されている。つまり大学院が今後認定制度に応じたカリキュラム編成を組むなんて言う話もでてきそうだ。

しかし、実践力保障されてますよと言ったところで、ソーシャルワーカーへの信頼感がなければ、利用者は信頼しないだろう。福島原発事故に関わる社会的排除や被災地での孤独死の問題等、ソーシャルワークが関わらねばならない問題が、今回の震災でも、多数顕在化している。幾多の問題に対し、社会福祉士ソーシャルワーカーが、地道に、懸命に活動することが信頼醸成、ひいては地位向上につながる。実践の場をより多く作っていくことが、肝心要なはずである。認定制度をつくったからといって、信頼感が生まれるわけではない。