未来は待っている。

ここ1、2週間ほど家庭事情もあり、落ち着きのない日々となった。家族が突然の事態に戸惑う中で、自分に何ができるのだろうか、できるだけのことはしたいという思いを抱え、その事態に向き合うことになる、大学時代に社会福祉を勉強し、以後研究の道に歩を進めた。その過程で、「わからないことはあらゆる手段を駆使して調べ、情報収集する」というスキルが多少なりとも身についた。そのおかげで、今回の家庭事情において、問題解決の一助になった(家族がそう話してくれた)ことは、非常にほっとした。


その後、週末にかけては、そろそろ終盤に突入した講義とそれに伴う様々なタスク処理を猛烈にこなす。学期末テストと最終レポートを講義系の科目では課しているので、それにむけて、新しい情報を含め情報を提供していく。テストとレポートを課すということで、非常に重たい感じもする。学生さんの出席率はここまで総じて高く、熱心に取り組んで下さっているように思う。一方で、講義を通じて何を学び、何をスキルとして得たのか、整理してもよいのではないか。せっかく勉強するのだから、「単位を取る」ために勉強するのではなく、学びの中で具体的な目的意識を明確に持って頂ければと思う。終盤にかけては、伝えたいことは何かということを意識しつつ、講義を進めるつもりである。


そして、本日AMは溜まった家事をこなし、長男坊の誕生日会の準備をして、PMは土曜学童プログラムへ息子たちを送り届けて、NPO法タイガーマスク基金さんのシンポジウムのため、後楽園へ。文京シビックセンターは何気に初めて来たのだが、高層階からの眺望はなかなかよいものだった。


肝心のシンポジウムだが、4時間を超える盛りだくさんの内容。吸収するのに精一杯だった。児童虐待、社会的養護の問題に多様な人々が関わることの意義に思考を巡らせつつ、改めて現場で働く人たちの役割とは何かということを考えずにはいられなかった。
時に福祉とりわけ社会的養護の現場はその閉鎖性が指摘される。今日のように非営利組織が施設に入り込んだ支援は、40年、50年前にはほぼ見られない光景だ。時代は変わり、施設に入所する若者の社会的背景も多様化し、変化している中で施設の中で自己完結的に問題を解決し、その役割を果たすことは難しくなっている、限界が明らかになりつつあるのではないか。
職員と若者の関係は、非対称の関係である。職員が若者の未来を描くのではない。描くのは若者自身である。職員は様々な選択肢を提示し、施設にいる間にたくさんの自己肯定の経験とミステイクの経験を積めるように環境整備、関係構築を図ることではないだろうか。施設が若者にとっての真の居場所として機能するためにはやるべきことはたくさん残されている。
いずれ子どもたちは地域社会で暮らすことになる。多様な人たちとの関わりが生きていく上で否応なく必要とされる。そのためには、施設出身者の積極的な活用、民間の社会資源・リソースの活用などをしていきながら、若者の未来を見据えた支援に取り組む必要に迫られている。
職員には、子どもとコミュニティとのリエゾンとしての役割が求められている。専門職というと知識とスキルを活用し、問題を解決するという職人芸のようなイメージを持ってしまうけれども、現実には虐待にしろ、多様な機関と人が関わらないと、問題の発見すら難しい。逆に言えば、虐待にしろ、社会的養護しろ、個人や施設だけの問題ではないということが言えるのかもしれない。社会としてこれらの問題にどう取り組むのか、それが問われているのではないか。その問いに対し、今までは施設の職員や研究者が問いの存在そのものについて発信をしてきた。しかし、どう取り組むべきなのか、何が必要なのかということ、そして上流に存在する課題についての取り組み等、様々な課題に対して関係者間での連携や協力にどうしても難があった。
しかし、ネットの発達、社会問題に積極的に関わって、解決に寄与したいとする人々の積極的なアクションなどもあって、関係者間の距離は縮まりつつあるのではないか。そうした変化を捉えて、様々な課題の解決に向けて取り組みが強化されることを期待したい。


木山裕策さん&TIGER BANDの皆さんのライブもしっかり堪能し、シンポジウムを後にした。ちょっと時間が押して、息子たちから早く迎えに来てね、とのの電話をもらったので、ダッシュでお迎えに行った。夕方になっても今日は暑かった。子どもたちはプールやら、料理作りなどで楽しく過ごしたようである。
そして、夜は長男坊の誕生日パーティ。1日早いが明日やると、夜更しできないので今日やることになったw 今年のプレゼントは、セレクトした服とカバンのセット。総額は内緒。喜んでくれているようで、大役終えてほっとした。