『容疑を認めれば少年院に行かなくて済む』の問題点

 この発言が事実なら、非常に由々しき問題だと考える。正直、またかと思う反面、冤罪事案でこの種の発言がもし為されていたとすれば、怒りが込み上げてくる。

襲撃予告:「否認なら少年院」誤認逮捕男性に神奈川県警


横浜市ホームページに小学校襲撃予告が書き込まれた事件で、神奈川県警が誤認逮捕した男性(19)に対する取り調べで「認めなければ少年院に行くことになる」と自供を促していた疑いが強いことが、捜査関係者への取材で分かった。県警は不適切な取り調べがあったかどうか捜査員らから事情を聴いている。


捜査関係者によると、男性は逮捕当初は容疑を否認していたが、7月4日に容疑を認める上申書を県警に提出した。翌日に否認に転じたものの、同19日には横浜地検に容疑を認めたという。県警の取り調べの中で、男性は少年院送致を持ち出されて自供を促されたとみられる。


県警は「現時点で不適切な取り調べは把握していないが、あった可能性が高いとの前提で調査している」としている。



毎日新聞 電子版 2012年10月22日 より引用


 そもそも、少年院とは何かということからおさらい。少年院法第1条には次のように少年院が規定されている。

少年院法 第1条

少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された者及び少年法 (昭和二十三年法律第百六十八号)第五十六条第三項 の規定により少年院において刑の執行を受ける者(以下「少年院収容受刑者」という。)を収容し、これに矯正教育を授ける施設とする。

 条文によれば、少年院送致は、家庭裁判所の「保護処分」として行われると法律では規定されている。この保護処分とは、形式的には懲役刑等のような刑罰ではない。この保護処分には少年院送致以外にも、保護観察所による保護観察、児童自立支援施設児童養護施設への送致がある。これらは事案が示す要保護性に基づき決定されるものである。そして、これらの処分はいずれも、非行克服に向けた様々な援助であり働きかけである。
 しかし、矯正教育の実態が「強制教育」であり意味がない、という趣旨の声は出院者からよく聞かれる。前述した援助や働きかけが本当に意味のある、そして出院後の社会生活に資するものになっているかというと、出院者からはそれを実感できていないということだろうか。確かに、これらの処分には強制力を伴っており、強制的に拘禁されるわけで、拘禁され様々な行動の自由が制限されるということにおいては、少年にとっては「不利益」でしかない。


 日本の少年司法においては、少年保護手続が重要な役割を占めている。この手続きは、一般には、家庭裁判所に送致された非行事実につき、家裁調査官等による調査を行い、それに基づいた審判を経て、必要に応じて、保護的措置や保護処分の決定という流れで進む。しかしこの流れは、単なる事務手続きではない。様々な教育的要素や福祉的な要素を併せ持った複合的な取り組み、非行少年への多面的な関わりである。審判不開始と不処分を合わせると8割程度となっている現状がそれを物語っている。


 この非行少年への多面的な関わりの中には当然警察や検察も入る。その警察や検察が、こうした少年保護手続の精神や保護処分の「利益処分」的側面を無視し、それどころか、自白を強要する手段として、「少年院」という言葉を持ち出したとすれば、重大な問題である。
 ところが、非行事案で警察に関わったことがある若者たちからは、この種の発言を取り調べで言われたという話がよく聞かれる。神奈川県警だけの問題ではないのだろう。しかし、今回、神奈川県警はアクセス記録に不自然な点があったのに、裏付け捜査をしていなかったなど、極めて不適切な捜査と指弾されても仕方がない捜査過程が明らかになっている。



 まさかとは思うが、少年が起こした事案だから、裏付けは十分でなくても自白があれば、事案を処理できると思っていたのではないか。でなければ、この『容疑を認めれば少年院に行かなくて済む』などという発言は出てくるはずがない。


 今回の一件で、ネット犯罪への規制が甘いことが遠因だとする声もちらほら聞こえるが、自白強要及び不適切な捜査は、警察・検察自身の問題である。この事件を機にネットへの規制強化を行うのは時期尚早ではないか。まずは、やるべきことをやってから、考えるべきこと、ネット規制以前の問題に取り組むべきだ。


 冤罪事件として取り上げられることによって、少年が一刻も早く臨んだ平穏な生活は少し遠のくことになる。だとすれば、尚のこと第3者による捜査の検証と、真犯人の早期検挙が待たれる。