雑感 プレーヤーとして動く

選挙はある程度予想していたが、自民・公明が300を超える議席を獲得した。その一方で前回選挙に比して、1000万人もの人が棄権し、投票率は戦後最低となった。この投票率の低下はいったい何を示しているのか、興味がある。そんな選挙結果。この結果がどう日本の社会や私たちの暮らしに影響を与えてくるのか、いくつか懸念がある。以下書き綴っていきたい。


1つ目。エネルギー政策について。今回いわゆる脱原発を掲げた政党は軒並み議席を減らすことになった。しかし世論調査などを見ていると、原発に対して不安を抱える人も少なからずいる。それが、なぜ票や議席に結び付かなかったのだろうか。
それは「近い将来には原発はなくすべき」だとは思っていても、「原発なしでやっていけるのか」という思いに、そうした政党が具体的な提案、納得に行く提案を示せなかったことが1つの要因だと、私は考えている。期間や「脱」や「卒」の違いはあれ、原発を止めることで出てくる様々な影響について、そうした主張をする政党はどのように考えているのか、全くわからなかった。そして、そもそもの福島原発の事故の収束に向け、どんな取り組みをするのかも出てこなかった。避難者の支援も然りである。こうした生活に直結する課題についても、具体的で納得感のある選択肢を脱原発に向けたシナリオとセットで示せなければ、ただの掛け声である。


2つ目。障害者政策について。民主党は猛烈に障害者政策でも関係者から批判を浴びた。しかし、政策を煮詰める現場に当事者参加を進めるなどした点、この点については、一定の評価はしてもいいのではないだろうかと、私は考える。とはいえ、その後の厚生労働省の巻き返しに完膚なきまでに叩きのめされてしまった感があるので、きちんとそこは実行すべきだった。この点については、当事者の側の「運動」のあり方も、今後政策実現にあたっては考えていかないといけないだろう。とはいえ、自民党の中には従前の自立支援法を礼賛する人もいるようなので、これまた後退の懸念がつきまとう。


3つ目。LGBTに関する政策。自殺総合対策大綱の改正で性的少数者もその対象になったのだけれども、自民党が政権に復帰してこれが後退することになるのではないかと危惧せざるを得ない。


選挙になると、景気・経済対策が投票の際に最も重視する項目として挙げられている。今回の選挙でもNHKの調査などではそう答えた人が半数近かった。その次に社会保障社会保障の中で想定されるのは、年金・介護・医療だろうか。一方で福祉はほぼ議論の対象にはなり得ていない。それどころか、ここ数年の生活保護を巡る報道などを眺めていると、まるで福祉は経済政策のお荷物みたいに語られていて、愕然とする。私自身は福祉に関わる人間の1人として、福祉は経済のおこぼれでも、ましてお荷物でもないと考えている。
社会福祉は長年分野ごとに実践が積み上げられてきた。高齢者福祉をはじめ児童家庭福祉、公的扶助、地域福祉、障害者福祉などなど。そうした多彩な分野ではあるが、実践の中でもあるいは研究の中でも、当事者以外の人をどのように巻き込み、共感を広げたらよいのかという蓄積はほとんど見られない。福祉が必要ということがごく限られた人のニーズと規定されてしまっており、実は福祉が必要とする問題を解決するには、日本社会に広く根ざしている壁を取り除くことが必要である。
ここでよくありがちなのが、当事者と当事者以外の人の対立関係に陥ってしまうことだ。困っている当事者の人とそうでない人の間での温度差がどうしてもある。その温度差を乗り越え、同じベクトルを向いて、当事者自身もそうでない人も共に歩み、大きな変化のうねりを生み出せるか。困っている人の困っていることについて、多様な属性を有する人が対等な立ち位置で連携プレーをしながら解決する、そうした仕組みをつくっていくことが必要だ。


ちょっと話がそれてしまったが、列挙した政策課題については、今後「運動」のあり様が問われることになるだろう。